1.20.2015

[film] Alphaville, une étrange aventure de Lemmy Caution (1965)

10日の午後、”The Iron Horse”のあと、イメージフォーラムに移動してみました。

もう何回も見ているし、どちらかというと「華氏451」のほうが見たかったし、更にどちらかというと「ジミーとジョルジュ…」のほうが見たかったし、これを”The Iron Horse”の後に見たらインディアンもリンカーンも出てきたから盛りあがっただろうなー、とあとで思ったものの、時間が合わなかったの。 ここまで来てもまだ新作を見れていない2015年。

探偵のLemmy Caution (Eddie Constantine)が銀河の彼方から車でアルファビルに現れてフォン・ブラウン教授を連れだそうとして、そうしていくなかで明らかになるアルファビル、とは。

設定があんま現実ぽくないからSF、ていうのだったらゴダールの作品はぜんぶSFだろ、て思う。
たしかにさっき見た“The Iron Horse”と比べると夜しかないし領土はくっきり分断されているし列車は高いとこを走っているし、記号と信号と警報ばっかしだし…

そこには鏡とガラスと廊下がいっぱいあって、記憶をもつこと、愛について語ること、泣くこと、意識すること、詩、などなどが禁じられ、アルファ60ていうAIで監視され、破ると捕まって尋問されたり処刑されたりしてしまう都市だか国だか星だか。 どこがSFなんだ? いまとたいして変わらないじゃないか? 

「近未来SF」ていうジャンルに要請される(代表的かつ単純な)機能として警鐘と啓蒙、ていうのがあるとしたら、この作品は後者のほうで、いろいろ経験してきた凄腕のおじさん探偵が首にチップを埋め込まれバーコード管理されたおんなのこをその世界から引っぱりだして新世界に連れ出す - 辞書にない言葉を教え、愛を教え、エリュアールの詩が導く。 ていうことをLemmy Cautionの名を借りたゴダール(大人の男)は、Anna Karina(おんなのこ)に対してやりたかったのか、そんな単純なもんでもなかろうに、とか。

B級の探偵モノ、B級のSF、ノワール、映画のはじっこ、世界のはじっこのジャンルをそれらしく摘んで繋いでみたとき、世界はどんなふうに見えるのか、ひとはどんなふうに動いて愛の冒険に赴くのか、ていうような問題設定に貫かれた映像の集積をひとはいつしかゴダールの映画、て呼ぶようになって、ゴダールの映画がものすごく「映画」に見えてしまうのだとしたら、それはこういう場所、こういう光と目線のもとで撮られたからなのだ、というのがとてもよくわかる、画面は暗くてもきらきらした愛と正義の1本なの。

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