6.28.2012

[film] The Killing of a Chinese Bookie (1976)

"Faces"に続けて見ました。 これはこれまで見たことがなかった。
オープニングタイトルのばーん、とした出方がジョニー・トーみたいだった。

Cosmo (Ben Gazzara)は、カリフォルニアのはずれでCrazy Horse Westていうストリップ小屋みたいのを経営しつつ、他にもやばい仕事をあれこれやってて、ある日、勢力の大きなやくざの人たちから借金帳消しにするかわりに中国人のノミ屋を殺すように言われて、最初は拒むのだが結局ひとりで乗りこんでいくの。 でそれをやっつけた後も、もみ消しでうるさくつきまとわれて。

闇からやってきた仕事を闇のなかで実行して闇の向こうに押しやる、というフィルム・ノワールの暗さと非情さ、これはこれでクールで、はらはらどきどきでよいのだが、こういうのとは別に、この後の"Opening Night" (1977)にもはっきりと連なる舞台芸術への無垢で無償な愛がCosmoをつき動かしていて、この明るさが闇を、駆逐するのでも漂白するのでもなく、闇をもステージの上にひっぱりあげて無力化してしまう、ように見える。 それを作為的な演出抜きでさーっと繋いで、出してしまう。

ここでは世界は、舞台ははっきりとCosmoのものである。 彼が世界を統御し、コントロールする。 その限りにおいて、彼は無敵だ。
それが外の世界 - でもそれは繋がっているおなじ世界でもある - の力とぶつかったときに何が起こるのか。
"Opening Night"は、演出家である彼の描いていた世界を遥かに超える特大の毛玉を吐きだした老猫女優がぜんぶ持っていってしまった。 これは向こう(女優)にとっては命がけの賭けのようなものだったし、しょうがないの。
"The Killing of ..."における舞台は、(理由はよくわからんが)彼が守ろうとする最後の砦で、家で、でもそんな必死にも見えずにさっさと片付けてしまうところがすばらしくかっこいい。
ラストの方のあのペンキみたいな血も、この文脈だとわざとだろ、みたいに見えてしまうくらい。

Ben Gazzaraが、とにかく素敵でさあ。 ものすごく強いとか色男とか、そういうのではなくて、ふにゃふにゃしたところもあるのに、とにかくやられない。 "Opening Night"もそうだったが、立って舞台を見上げる姿の力強さときたら。

彼だけじゃなくて、出てくる場末の人たちの顔がみんな素敵でねえ。
やくざの人たちのほうにいるSeymour Casselの声とか、すばらしくよいの。 クリアで、細くて。
"A Woman Under the Influence"に出てくる土方のみなさんもよかったが、ああいう顔達って、どうやって見つけてくるのだろう。

ぜんぜん違うのだが、なんとなく(ほんとになんとなく、だけど)神代辰巳の「赤線玉の井 ぬけられます」(1974)を思い出した。
がたがたでぼろぼろでわけわかんなくて、でも全体としてはポジティブで崇高な何かが降りてくるような。


今回のCassavetes特集は(自分のは)これで終わったのだが、"Too Late Blues"も"Husbands"も"Minnie and Moskowitz"も入っていない。
それに、なんといっても"Gloria"だってさあ。

俳優としてのCassavetesももっと見たいなー。
Don Siegelの"Crime in the Streets" (1956)とか、"The Killers" (1964)とか、晩年だと"Tempest" (1982) - これはMolly Ringwaldさんのスクリーンデビュー作でもある - とか、すばらしいのがいっぱいあるのよ。

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