4.01.2012

[film] Take Shelter (2011)

天気の悪かった(ここんとこずっと悪いねえ)土曜日に新宿で見ました。
『ニーチェの馬』からだと、世界の終わり続き。

土木技師のCurtis(Michael Shannon)は妻のSamantha(Jessica Chastain)と、耳の聞こえない娘と3人で穏やかに暮らしているのだが、オイルの雨が降ってきたり、雲が変な形になったり、鳥が異様に群れていたり、リアルな悪夢を頻繁に見るようになったり、夢と現実の境が揺らいでくるようなあれこれに直面するようになる。

彼の母がいまの自分と同じ30代で統合失調証による過剰行動で病院に隔離されたことがあるので、精神科に相談に行ったりするものの、やがて世界がとんでもないことになってしまうという確信/妄信から目を背けることはできず、ローンで借金したり会社の重機を借りたりして庭先にシェルターを作り始め、当然のように彼は家族からも会社からも孤立していって、やがて。

たんに中年男のメンタルの問題とその行方を描いた、だけではない、それだけとは言い切れない - ほんとうに世界は逝ってしまうのではないか - という可能性と緊張を孕みつつ、じりじりと展開していく映像がすばらしい。 追い詰められているのはCurtisだけなのか? 彼以外の人々には見えていないなにかもあるのではないか? 

シェルターは彼にとって自身と家族を災害から守るもの、という名目以上に、彼の崩壊寸前の自我を維持するために必要であることは明白で、だから見ている我々は彼の家族と同じ目線で呆れたりはらはらしたりしつつもシェルターが彼の望むように機能してくれることを望む。 もしリアルなほんもんの災厄がどーんと落ちてきたら、どっちみちおじゃんになることがわかっていたとしても。

妻との関係、娘への愛、母への想い、職場の同僚や上司、自分が見る悪夢、幻覚に幻聴、これらがシェルターを中心とした磁場のまわりにぐるりと展開され、アメリカ南部の風景と気候の上に配置されることで見事な「世界の終わり」曼荼羅を描いていることがわかる。

『ニーチェの馬』で描かれる極限まで削ぎ落された世界の終わり(閉じていく世界)、ここで描かれる現代の煩雑でこんがらがった世界の終わり(同)、どちらも消失点に向かう抗うことのできない力とその強さは共通している。 そして、これは自分の世界のことである、というところも。

Curtisを演じたMichael Shannonがすばらしい。
南部男の朴訥さと力強さ、その裏で不安に潰され崩れて行く男の彷徨いを一遍に、見事に。 
ちょっと前だったらWillem Dafoeあたりがやったような。

ラストにはBen Nicholsのテーマが力強く流れるのだが、ここはTFFの"Pale Shelter"であってもおかしくなかったねえ。  そういう妙な懐かしさもあるの。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。