4.29.2012

[film] 地獄門 (1953)

連休の初日は目覚めたらもう昼で、なんかやらなきゃと思っていまやってる映画を探していったのだが、新作はびっくりするくらいなんもないのであきれた。 

(ていうか、なんで映画なの? なんでお片づけとかしないの?)

んで、京橋で「『地獄門』デジタル復元版特別上映会」ていうのがあったのでそれにした。
トークは時間的に無理そうだったので、4:30からの。

大映初のカラー映画で、イーストマン・カラーを採用してて、カンヌでグランプリを獲った、くらいのことは知っていたが見たことなかった。

とにかく色彩は断然すばらしくてすんごいので必見。サントリー美術館とか根津美術館とか婦人雑誌(最近のって、なんなのあれ?)とかで和の、雅の美を追っかけているひととかは絶対。 それだけでええ。筋なんてどうでもええのや。
着物の橙とか桃色、蚊帳の向こうで滲む月、夜露に光る笹の葉、コトが起こる夜の描写はどこを切り取ってもひれ伏してしまうくらいに美しい。 これが日本の夏の夜の色なの。惨劇すらも慎ましく寡黙に盛りさがる。

この色彩と構図の前に人物はどれも書割りのなかにきっちりと納まっていて、悶々とおとなしい。
全ての毒と泥をひっかぶって静かに殺されてしまう袈裟(京マチ子)も、その夫の生真面目なサラリーマン(山形勲 - なんて長い顔だろう)も、ひとり欲望のままにひっかきまわして大騒ぎした挙げ句に全てを失う(でも仏の道に向かうから救われるんだよねきっと)迷惑男 - 盛遠(長谷川一夫)も、どれもなんとなく輪郭がはっきりしてなくて、よくわかならい。

すんごく昔のお話なので、当時はそういうものだったのかもしれないし、原作の菊池寛がそうしたかったのかもしれない、どっちでもいいんだけどさ、でもなんで袈裟は黙ってなんも言わなかったのかしら(ひとの身替わりになるのが好きなのね)?、なんで夫は繊細ふうなくせに、あの晩の妻の挙動を見てもくうくう寝ることができたのかしら、盛遠はちょんまげ切れば済むと思っているのかおまえが切るべきなのはその男根だろ、とか、いろいろ、いろいろ考えてああ地獄門はじぶんのあたまんなかにあるんだわ、というのを思い知るのだった。

でもきれいだからいいことにするの。

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