4.27.2024

[film] Sometimes I Think about Dying (2023)

4月19日、金曜日の晩、Picturehouse Centralで見ました。上映後に監督のRachel Lambertと主演のDaisy RidleyのQ&Aつき。

オレゴンの小さな町の小さな会社 – なにをやっている会社なのかはわからず – で事務をしているFran (Daisy Ridley)がいて、出社するとすぐ机に座ってPCをONにして仕事にかかる。同僚への朝の挨拶もしているかしていないかくらい小さくて、職場でドーナツが出ても手をつけず、世間話にも興味がなくて、髪も適当のほぼすっぴんでPCに向かっているだけ。

という典型的に地味で最近の「ワークスペース」なんて呼び方とは程遠い殺伐としたアメリカの職場の描写が続いて、それだけでなんか嬉しくなってしまったので、以降、レビューとしてあんまちゃんとしたものになっていないかも。

パーティションが切ってあって、見たくない話したくないときは逃げることができて、窓から見える風景もどうでもよい殺風景なもので、少しケミカルの匂いがしてて、給茶コーナーではいつも誰かだらだらしていて、文具コーナーはいつも出しっぱなしで殺伐としてて、要は朝来て仕事をして夕方になったらばらばらと帰る、それだけの場所でしかなく、孤立しているというより別に誰とも仲良くなりたいと思わないしこのままずっと仲良くなくて構わないと思っているFranは”Sometimes I Think about Dying”で、窓から見えるクレーンで首を吊られたり、自動車事故にあったり、蛇に襲われたり、森のなかで横たわったまま虫にたかられていたり、といったことを夢想してうっとりする。自殺したい、というのとはまた別で(わかんないけどたぶん)、自分が打ち棄てられてそのまま朽ちていく - それが持続している状態でありたくて、それを別の自分が見つめて夢想する - 心理学的に説明できるなにかはあるのかもしれないが、その状態の解析や分解に向かうことはなく、Franの職場でのそういう状態 - 仕事というよりはSpreadsheetが好き、って言ってしまうとか、独り暮らしのアパートでレンジご飯を食べたらTVも見ずに22時には寝るとか - のそういう無風で無表情な状態と自分の死んだ姿が対置されていく。 自分も職場ではそういう妄想を30年以上続けているので賛同しかない(のでレビューとしては…)。

ある日、彼女の職場にRobert (Dave Merheje)というハゲの中年男が中途で入ってきて、人柄は悪くなさそうで危険なかんじもしない、彼がFranにチャットで事務のことなどを聞いてきたことをきっかけに少しFranの方から近寄ってみて、仕事の後に映画を見て食事をして、というのをやってみる。でも映画オタクっぽい彼とは何一つ嚙みあわず気まずいままで転がっていくだけで、翌日の彼は前より素っ気なくなっていて、でもここで引き下がったらこれまでと同じになってしまう、と思ったのかどうなのか、飛び降りるかんじで彼の家でのパーティに参加してみるのだが、でもやっぱり…(以降、既視感たっぷりというか、いたたまれないあのかんじの繰り返し)。

という、ふつうのラブストーリーのようなところに落ちる要素がまったくない地味な映画で、最後のほうでしょんぼりしたFranが退職したばかりの女性 - 職場の同僚だった頃は特に親しくもなく、彼女への寄せ書きを書くのも困ったくらい – と偶然再会して少し話してほんの少しだけ何かが… というお話し。

それだけで、映画としてはあまりにも地味すぎてなんもなくて - 厚めの音楽とタイトルの書体とかはちょっとゴージャスかも - こういう不愛想でどん詰まった主人公を描くのであれば同じくオレゴンを舞台にするKelly Reichardtみたいなやり方もあるのに、とか思わないでもない。のだが、Daisy Ridleyの演じるFranはSWのReyの1/10000も動いていないけど、たったひとりだけど、間違いなく一貫した像をつくってそこにいる。そこはよいと思った。

上映後のQ&Aはそんなにおもしろい話はなかったのだが、Franの死体にたかっていた虫たちは本物だったんだって。

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