4.24.2024

[film] El sol del membrillo (1992)

4月17日、水曜日の晩、BFI SouthbankのVíctor Erice特集で見ました。

これはまだ見たことがなかった。英語題は”The Quince Tree Sun”、米国でのタイトルは”Dream of Light”、邦題は『マルメロの陽光』。1992年のカンヌで審査員賞と国際映画批評家連盟(FIPRESCI)賞を受賞している。

どうでもいいけど、QuinceはQuinceってかんじで、「マルメロ」ってなんか違う気がするんだけど(ポルトガル語由来か)。「かりん」の方はなんかわかる。

Ericeが”El sur” (1983)に続けて撮った3本目の長編作で、138分のドキュメンタリー。

マドリッドの画家Antonio López García (1936-)が改築中(?)の自宅に入って木枠からカンバスを作り、一本のQuinceの木の前にイーゼルとカンバスを据えて、自分の足の置き位置にも釘でマークをして、重しを吊るして中心線を決めて、Quinceの実にも縦横の白い線を引いて、自分がこれから描く、描こうとする世界を固定 – することはできないので、基準線を沢山引いて、時間の経過と共に変わっていく世界 - 果実は熟して重くなって下方におりてくるし、差し込む陽の角度は冬に向かって傾いていく – に備えている。雨が降り出すと木の周りにビニールの囲いを作ってその中で作業をするが、激しい雨風にはどうすることもできない。

ものすごく厳格な料理人のような、修行僧のようなきっちりタフな作業をしていくのかというと、そんなでもなくて、ラジカセから音楽を流したり、友達ととりとめないことを話したりしながら描いていく。家の改装で壁を壊したりしている3人の大工さん達と同じような緩さと風通しで日々の時間が流れていく - 日付やその経過は字幕で表示される。

こんなふうに創作の過程を追っていくことで、Antonio López Garcíaの絵画観や創作の秘密を明らかにする、というよりは”The Spirit of the Beehive” (1973)の父親がやっていた養蜂や、”El sur”の父親がやっていたに水当て、のような仕事との相似を描いているような。 相対するのは自然物で、その背後にはよくわからない法則や原理がありそうだが、とにかく変わりやすく絶えず動いていくので思うようにはならなくて、その断面を捕まえるしかない。絵は途中まで油彩で、途中からデッサンに変わって細密で正確であろうとすることに変わりないものの、写真ともハイパーリアリズムのそれとも異なる、「絵」としか言いようのない表象が現れる - でも完成形がこれ、というのは示されない。 そこでは目を見開いて捉える、と同時に「目を閉じる」ことも必要で – 目を閉じることについては”The Spirit of the Beehive”にも”El sur”にも言及があって、Ericeの最新長編作ではタイトルにまでなってしまった。- 目を閉じてみること。

職人的な技巧や時間をかけなければ到達できない境地 や成果 – Ericeの映画もそのひとつかも - についての映画ではなくて、目を開いて見つめること – 目を閉じること、その間に現れる世界のありようを捕まえる、その作法についての映画なのではないか。彼の最初のふたつの長編ではそれを担っていたのは「父親」だったわけだが…

彼の作業と並行して同じく画家である妻のMaría Morenoの作業 - ベッドに横たわるAntonio Lópezをモデルとした絵が描かれているところ、とか彼の家の周囲、マドリッドの住宅街の夜景 – TV画面がぼんやり光っていたり – が映しだされて、どれもシンプルに美しい。いろんな人が出てきていろんなことを喋ったりで楽しくて、138分あっという間なのだが、全体に漂うぽつん、とひとりであるかんじ、はなんなのだろう? ってずっと思っている。

3月の頭にマドリッドに行った時にMuseo Nacional Thyssen-Bornemiszaで見たIsabel Quintanillaの回顧展(すばらしかった。まだやっているので近くの人はぜひ)では、彼女の夫の彫刻家Francisco Lópezの作品の他に、この映画に出てきたMaría Morenoの絵も、モデルとしてポーズをとるAntonio Lópezの(Isabel Quintanillaによる)絵もあったりしたのだが、彼らに共通していると思われる対象 - 静物、家具、壁、家の周り、景色とそれを絵のなかに置く置き方、などがどういう背景(土地、はあるの?)や意識のなかで生まれてきたのか – そこでしばしば対照されるVilhelm Hammershøiの絵画とか。スペイン内戦(の記憶)、はそこにどんなふうに絡まっているのかいないのか、など。

日本は湿気があるので難しいのだが、果物がゆっくりと朽ちて黒ずんで形が壊れていくさまって、こちらではよく目にして、それが妙に美しかったりするので困ったもんよね。(だからといって食べ物は粗末にしないように)

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。