1.03.2018

[film] The Big Heat (1953)

12月9日の晩、BFIで見ました。 Gloria Grahame特集からの1本。 邦題は『復讐は俺に任せろ』。
“Film Stars Don't Die in Liverpool” (2017)の公開にあわせて、これだけはBFI以外のシアターでもリバイバル上映されていた。

ノワールの古典だしFritz Langの傑作だし、もう何回も見ているからいいよね、のはずだったのだが、例によってどんなやつだったかすっかり忘れていて、Lee Marvinのチンピラ狂犬が出てきたところで、ああ熱コーヒーぶっかけのやつだ、て思いだした。

なにかメモを残して自宅の机で拳銃自殺した男がいて、それを見た妻は取り乱すことなくどこかに電話をするのが冒頭で、その死んだ男は刑事で、同僚のDave Bannion (Glenn Ford)が捜査にあたるのだが、上層部はどうみても自殺だから、と片付けようとしているふうで、それでも捜査を続けていると車に仕掛けられた爆弾でDaveの妻が亡くなり、あったまきたDaveはバッジを叩きつけて単独で捜査に乗りだすと、線上に怪しいと思っていたやくざの一団が浮かびあがってくる。 そこからコーヒーをぶっかけられて追い出されることになるやくざの情婦のDebby (Gloria Grahame)が絡んできて、全身復讐の火の玉になったDaveはどうするのかー。

警察の上とやくざの癒着、やくざ内のいろんな確執、周辺の怪しく悪どい人たち、味方になってくれるよい人たち、それらが渦を巻きながら終盤、たった一人の殴り込みになだれこんで行く展開はすげえーとしか言いようがないのだが、これ、53年の作品で、なにがすごいって、ここには当時の世界がぜんぶ入っていることなの。 闇の社会も平穏な市民社会も過剰な愛も一途な愛も狂犬もふつーのひともみんな出てきて、みんな物語に練りこまれていって最後に沸騰して弾ける、その様が絶え間ないアクションのなかに活写されている。
そういうなかで、凶暴さむき出しでおらおらやってくるLee Marvinと、同様に目先の愛とエモだけでそれらにぶつかっていくDebby - Gloria Grahameはとにかく強烈に生きているとしか言いようがなくて、彼ら vs. 世界、を見よ、なの。

ここにはレビューを書かなかったけど、12月3日に見た”Out of the Past” (1947)にも同じようなまるごと感はあって、主人公の過去から逃れる/過去を捨てる、という行為の線上に世界のすべて(そこに生きる人たち)が点在し、交錯し、収斂し、やがて破滅へと至る。 その濃度ときたらやはりすさまじかった。

自分がフィルム・ノワールを好きなのは、社会が暗い、やりきれない闇に満ちているのだとしたらそれってどういうことなのかを、そこを照らす光やその輝度も含めて精緻に描きだしてくれて、更にその泥に浸かることの「意味」みたいのを考えさせてくれるからなのだろうな、て思った。
(例えば溝口や成瀬のメロドラマにも同様の「世界」があるのだと、極めて乱暴にいう)

いま、窓の外はすごい嵐、みたいな風がぼうぼう。

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