2.21.2017

[film] Fifty Shades Darker (2017) 

18日の夕方、いくつかのアパートを下見したあと、Leicester Squareでみました。
ここの一番でっかいシアターで上映してて、とてもでっかい看板が広場ぜんたいを見下ろしていて、そんなにすごいのかしら … と。

でも一作目って、アナスタシア、ていう名前と、シアトルが舞台だった、ていう以外はあまり印象に残っていないかも。
英国では18禁で、前作よかやらしいシーンはあった気がする。 まあそんなの、人によって違うのだろうが。

Anastasia (Dakota Johnson) はGrey (Jamie Dornan)と別れて前とは別の出版社でアシスタントとして働いているのだが、Greyはいまだに贈りものをしてきたりAnaがモデルになった写真展示のギャラリーに現れたり彼女の会社を買収したり(ひー)、ねちねち攻めてきて、結局彼女は折れてディナー「だけ」、一緒にしようとするのだが、そんなんですむわけなくて結局よりは戻ってしまい、でも彼女は彼の過去の女性関係とか昔の写真とかが気になって気になってしょうがなくて、彼の昔の女と思われる影(複数) - Kim Basingerとか - も現れるし、ちゃんと明らかにしてくれないんだったらやだからね、とか拗ねては仲直りを繰り返しており、彼女のほうにも仕事場の上司が寄ってきたり、要するにふたりの仲の真剣さが問われるのだが、たとえ多少やばくなったってそれらも広義のSMとして見てしまいさえすればなんとかなってしまうの。

これ、どこまでまじめに筋を追ったりふたりの逡巡や眉間につきあってあげればよいのか、あるいはぜんたいを軽い昼メロ - 見たことないけど - みたいにけらけら笑ってみておけばいいのか - 場内にはいちいちきゃーきゃー大騒ぎする女子の一団がいた - よくわかんないのだが、中間くらい - 知り合いの与太話くらいに見ておけばいいのかしら。 ちなみに、SMのいろんな小道具とかにどきどきはらはらする段階はとうに卒業して、ふつうに阿吽でさくさく使いこなすようになっているので、そういうのを期待する人たちには不満かもしれない。 よくわかんないけど。

大枠のはなしをすると前作が「契約」をめぐるおはなしだったとすれば、今度のは「ロードマップ」についての、あるいは「ロードマップ」をつくるおはなしである、と。 
つまりはそういうところまでいくの。 "Darker"ていうのはそういうことなのかしら。 たぶん。

でもわざととしか思えないくらいに関係の糸をこじらせてこんがらかせて「本性」とか「絆」のようなDarksideに迫ったり落としたりしたがる作品 - 具体的には思い浮かばないけど - よりは軽くて漫画みたいで楽しいかも。 どっちがよりDarkか、ていうのは議論あるとおもうが。

あるいは、結局金とセックスなんだろ、ていうところからどこまで離れてほんもんの愛を追い求めることができるのか - もう少しいうと、Greyから金とセックスといろんな道具コレクションを抜いてしまったとき、あいつになにが残っているのか、ていうのはみんなが考えるべきことだとおもうの。(Darker..)

そしてさらにいろんな試練が、ということでまだ続いていく(そう、続くのよ)のは、なんかよいかも。

主役のふたりが変わらず大根では、という疑念がひとによって湧くのかもしれない。けど、Dakota Johnsonさんに関してはだんじてそんなことはない、と言っておこう。彼女がいなかったらこの映画はリアル大惨事になっていた可能性がとってもある。
(”How to Be Single”が公開されない理由がまったくわかんないわ)

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