11.29.2016

[film] Every Thing Will Be Fine - 3D (2015)

11月20日、日曜日の昼間に渋谷で見ました。 3Dのほう。 小さい画面でも3Dで見るべき。

一度どこかの機内で見ようとして、ちゃんとした形でみなきゃ、と途中で抜けていたやつ。

Tomas(James Franco)は雪原の掘っ立て小屋に籠って創作に苦しんでいる作家で、妻のSara(Rachel McAdams)とは電話で話す程度で疎遠になってて、雪のなか車で買い物に出た際に、一瞬の不注意で家のそばで橇で遊んでいた兄弟のうちのひとりを轢いてしまう。 轢いてしまったのは母子家庭の絵本作家のKate(Charlotte Gainsbourg)の子供で、信心深い彼女は嘆き悲しみながらも彼を赦して、Tomasは自殺未遂までして苦しみながらなんとか次作を書きあげ、数年後、編集者のアシスタントだった子連れのAnn(Marie-Josée Croze)と結婚して成功した作家になっている。 やがてKateから精神障害を抱えているという息子(事故で生き残ったほう)のChristopherの相談を持ちかけられて - -。

こんなふうに冒頭の死亡事故を除けば大きな事件もなく子供たちは育ち、親たちは右往左往して、Tomasの父は老いて、Kateのわんわんも老いて、住処は変わり、危なっかしくも移ろって歳を重ねていく。 とても小さな世界、誰の身にもありそうな出来事の連鎖連続を扱いつつ、最初の事故の、そこから飛び散っていった複数の出来事の絶対質量、可視不可視をミクロに丁寧に拾って積みあげていく。 3Dというのは、3Dといえどもあるディメンションから見た様相が他では見えない or まったく異なってみえる、ということを提示・暗示する道具だてで、心理的な騙し絵として機能するところも含めて、このドラマの、このドラマを生きる人々の視野のありようを示す重要な役割を果たしている。 特に終盤、夜中にChristopherがTomasの家に侵入しているところとか、なんかすごい。

もうじき書くとおもうが、母の死から始まる『母の残像』- "Louder Than Bombs"とおなじように、残された家族たちの意識の流れや揺れを、そこから掻き出して救いださざるを得ない悲しみをぽつぽつと置いていくかんじ。
爆弾よりもでっかい音で全方位で鳴って、走って逃げても襲ってくる音 - (この映画だと3D)。
そんなことをしてなんになるのかわからない、そんなことわかっているけど、でも...  こんな、それこそ何百万回も重ねられた問いのなかを泳いでいくこと、その傍で、陽が昇るまでそばにいてあげること。

ひとつの死を中心にこんなふうに周囲の生は危うく廻って重なっていくのだと、これって昔からあるテーマのような気もするのだが、とても今日的なものであるようにも思える。 そんなにも今の我々(特に子供たち)の生は分断され断片化されてひとつになっていかない、ということなのか。

邦題の「誰のせいでもない」は違うと思う。 その文脈で使うのであれば「誰のせいでもある」であって、そのあとでようやく、息絶え絶えに"Every Thing Will Be Fine"とつぶやけるのではないか。 この作品を見て「誰のせいでもない」なんてどうして言えるんだろ。 なんでも両論併記で責任を回避してなかったことにしようとするのと同質の昨今の気持ちわるさがあって、それってなんなのかしら。

ゆらゆら深く澱んで足元を金縛りにするAlexandre Desplatの音楽はすばらしくて、これを2日間で仕上げて録音してしまったヨーテボリのオーケストラ、えらい。

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