6.20.2016

[film] Désiré (1937)

19日、日曜日のお昼、アンスティチュで見ました。 前日の雪辱とおもったひと、パイーニ先生の講義で目醒めてしまったひと、たぶんいろいろでありえない行列ができていた。 
なんで日曜の昼間から30年代のフランス映画なんて見たいの、みんな?

『デジレ』。

女優のオデット(ジャクリーン・ドリュバック)の邸宅で、オデットには結婚していない内縁のはげの大臣がくっついていて、あと召使がふたり、お料理担当のアデルと小間使いのマドレーヌ(アルレッティ)がいて、ふたりの会話から今度新しい召使が来ることがわかって、やってきたデジレ(ギトリ本人)はしっかりしていて仕事もできそうなのだが、前の職場では恋愛関係でなんかあったらしい、と。

デジレは確かに有能で仕事はばりばりできて頼もしくて問題ないのだが、やがてオデットは寝言でデジレの名前を言って悶えるようになって、それが大臣に知れて、デジレも同じことをするようになって、それがマドレーヌに知れて、本人達はあまり意識していないのだが、あまりにやかましいので突っついてみると夢は解放され言葉が溢れてきて、二人とも真っ赤になって、だんだんに意識するようになって、恋の嵐は身分の差を超えることができるのかどうか、と。

前日の『夢を見ましょう』で、乗り越えるべき壁は相手が人妻である、ということだったが、今度のはもっときつい。おそらく。 でも、であるがゆえに。
仕事に関しては有能だしばりばりやるので大抵のことはできるし、夢のなかならあんなことでもこんなことでもできる、そして言葉で自分の想いはいくらでもどこまでも吐き出すことはできる。 唯一破れそうにないのがここにある階級の壁とか、ユニフォームの違いとか。

おもしろいのは身分や階級の壁の不条理あれこれを嘆いたり訴えたりする方向には向かわずに、ぴっちりしたコスチュームの縛りとか言葉でやらしくあおりたてたり悶えさせたりしつつ(Désiré = 欲望される男)、恋の醍醐味ってここだし、絶望 - 到達できない絶望、終りのない絶望 - なんて、そんなのふつうに、あたりまえについてくるでしょ、ていうように描いているところ。 ガチのSMみたいなもんなのだ、と。 覚悟はできているのか、と。

溝口だったら『近松物語』になっちゃうようなシチュエーションをギトリは識閾下・可視・不可視のものを効果的に織り交ぜて、その言葉と声で相手を圧倒してなぎ倒すとっても濃厚な恋愛喜劇(喜劇よね、これ)に仕上げていて、それって凄腕の召使(マシーン)であり道化であるデジレ=ギトリの真骨頂なのかも、とかおもった。

デジレのあの鞄のなかにはなにが入っているのかしら?  なんかとんでもなくやらしいものが?

29日の『あなたの目になりたい』も見ることができますようにー。


ああ、Anton Yelchin ...

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