6.09.2016

[film] Deadpool (2016)

6月4日、土曜日の晩に六本木で見ました。
あまりにくだんなくて時間が経ったらすっかり忘れてしまいそう(ほめてる)なので、先に書いておく。

Deadpoolが路上で悪い奴ら(たぶん)と派手にドンパチしているところから始まって、さて、なんでこんなことになっちゃっているのでしょう?  ていうのをDeadpool自身の口からぺらぺらぺらぺら、ほんっとどうでもいいことから回想まで含めて追っていく。

Wade (Ryan Reynolds) は特殊工作隊あがりで、悪い奴らをやっつける悪い奴で、バーにたむろしながらちゃらちゃら好きなように生きてて、そこで出会った彼女とも幸せに日々を暮らしていたのにいきなりぶっ倒れて癌だよやばいよ、て告げられてがーん、てなって、そしたらどこからともなく怪しい男が現れて治してあげよう、ていうから行ってみたら縛りつけられてどんなことされても - 腕切られたって生えてくる - 死なない改造人間にされちゃうの。 

そこをなんとか抜けだした彼は、自分をこんなにしたFrancis (Ed Skrein) をやっつけるべくコスチュームをしこしこ作ってそれにDeadpoolて名前つけて敵を追い詰めて行って、それを遠くで見ていたX-Men軍団(銀メタルゴリラみたいの - あんま強くない - と小太りのSinéad O'Connor)も参加して、で冒頭のシーンに戻ったところでまんまと敵を逃して彼女を人質に取られ、いかにも決闘場みたいなとこで再戦、という絵に描いたような展開に。

基本はやや古め柔めのヒップホップにのって、ちゃらちゃらべらべら独り語りをしながら人を人とも思わないやり方(R指定)でばたばたぐさぐさやっつけていって、最後はぜったい死なない奴同士の殺し合いになるの。
それだけなの。

こういうスーパーヒーローものにつきものの善悪の境界とか責任とか使命とか、そういう議論ははなからあっさり捨てていて、基本は彼女のところに戻りたい、ていうのとぼろぼろにされた顔を元に戻したい、それだけで邪魔な連中をばっさばさ殺していく。 それについての説明や理由づけや言い訳は彼自身がぜんぶ適当にやってくれるので問題なくて、つまりは狂った世界の狂ったひとのモノローグでしかないのだが、主人公のそういう開き直り - 自分なんて便所の落書きみたいなもん - が止まらないおしゃべりとか音楽と重なって小気味よさ潔さを生んでいることも確かなのだった。

ほんとは"X-Men Origins: Wolverine" (2009) の最後のほうに出てきたWade の続きっぽく描かれるのかしら、ていう期待もあったのだが、欠片もなかった。 あれの続きも見たいのになー。
Ryan Reynoldsさんは万事快調、”Green Lantern”のヒトにならなくてよかったねえ。
これ、少し前だったらJim Carreyがやったのかも。

全体に90'sへの言及がいっぱいな気がして、そういうもんなのかしら。 Limp BizkitとかSpin Doctorsとか。 Spin Doctorsなんて今のみんなわかる? 

でも、いちばん強く頷いてしまったのはエンドロールのあとのおまけ映像だった。 あそこでぜんぶ氷解して納得した。 あの映画がおしゃべりでメタ学園青春ものをやったのと同じやり口で、この映画はメタスーパーヒーローものをやろうとしたんだね。

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