6.13.2016

[film] Citizenfour (2014)

11日の土曜日の夕方、渋谷で見ました。

貼ってある映画のポスターには『警鐘! これは今起きている現実です - うんたら』とか赤で仰々しく書いてあるけどこの映画の全米公開は2014年だからね、もう十分に遅いし恥ずかしいのよ。

この映画にも出てくるSnowdenの顔と名前が世界中に曝されてから丁度3年、サイバーセキュリティの世界のありようは劇的に、ばっかみたいに変わってしまった。 つまりは、彼の告発が発端となって攻める側も守る側も(さて、どっちがどっちでしょう?)こっそりやろうとしていたいろんなことのギアを踏みこんでしまったとしか思えなくて、ここから振り返ってみると、当時一部ではったりと思われていた彼の発言もウソではなかったのかも、と少しだけ思ったり。

結局、彼やGuardian紙の記者が暴いた「真実」については、否定する側から「やってません」の明確な根拠がなにひとつ提示されないまま(あんな口先のコメント、誰が信じるかしら?)、だーれもその「責任」を問われることがないまま、そのままにされているので、政府さまに情報は盗られ触られっぱなし監視されっぱなしの野放し状態は続いている。

他方でIoTだAIだイノベーションだクラウドだモバイルだ、のバブル(もどき)が産業界では巻きおこっているが、これらはみんな情報や環境の統制をめぐる国策のための巧妙な目眩しでしかない。
2013年の時点ではデータを抜きとる、盗み見する、ような言い方を(しているとは言わずに)していた政府側が次にやろうとしていたことはこれらの作業の自動化、即時化で、IoTもAIもそのためにぜったい必要なインフラなの。 それで産業だって潤うのであればこんなにおいしい話(Win-Winとかいうのよねくそったれ)はないの。

米国政府のサイバー戦略は、911以降、ブッシュからオバマに政権が変わっても「いいからやっちまえ」の精神と路線を基本変えていないし、技術の進化が絡むことだし、現実問題として他国からのアタックは続いているので、この流れが停まるようなことになっているとは思えない。 で、そうしたら米国にやられたくない英国だって他の国だって同じ道を行くに決まっている、ていううんざりの連鎖。

50年代の赤狩りみたいなことが誰にも知られない/記録にも残らない(含.改竄される)かたちですいすい行われて、ある日突然はいさようなら、みたいなことが簡単にできるようになる。 国がBlack Cloudになる。 どこかでもう始まっていてもおかしくない。
では、オーランドのようなテロ(悲しくてやりきれないわ)は、この路線を詰めていったら無くすことはできるのか? そうは思えないの。 技術も法もどんどん変わっていくし、人だって変わるし、そもそもこれって「憎悪」と「恐怖」が発端だから。 そいつらは底なしに根深くて取り憑かれたひとはどんなことだってやろうとするから。

映画のなかでも言われているように、もうインターネットの自由なんてどこにも、どこの世界にもない。それどころかもう盗られている見られている前提で最低限の自由くらいは守らにゃ、と昨年くらいから潮流としてでてきたのがEUを中心とした国による自国内へのデータの囲い込みで、これにしたって各国が勝手に言っているだけ。 法と技術のせめぎ合いでほんとうにいいのか?、のところはまだまだ流動するだろうから、自分のは自分で守る、とか、やっぱし紙か... みたいなところしかー。

べつに国がちゃんと守ってくれる/やってくれるんだからいいじゃん、とか思えるひとはほんとうにおめでたい、とか書くと頭の悪い右翼みたいで嫌なのだが、これは国に関することではないの。 個人の表現活動とか尊厳に関わることなのに、今はだーれもその角度から考えようとしていないみたいな。 法を含めて技術的にできるできないばかりが焦点になっていて、これの怖いのは、技術がReadyになったら即時Go、だから。 究極には人間対AIみたいなところまでいくから。10年後にどうなっていてもしんないからね。

日本は政府の対応も含めて10000歩くらい後ろを向いてて、国民をみんなスマホのゲームとかアニメ漬けの骨抜きにしておけばなんとかなる、程度に思っているのか、国際的に、決定的に、ずれまくっている。
いつものことだけど。これだけじゃないけど。
ま、米国からすれば日本なんてケーブルも含めてどうとでもできるし、そもそも盗る側にとって価値のある宝なんて、欠片もないの、ここの土地には。

この映画、こんなふうな過去からのいろんなのをあたまのなかで整理するにはちょうどよいネタだったかも。
あと、例えば、Snowdenがハゲででぶのさえない中年男だったら、こんなに盛りあがっただろうか? ていうのは失礼だけど少しだけおもった。

音楽はこれ以外には考えられない、というくらいノイズが画面と耳に馴染んで染みこんで心地よいNine Inch Nailsの"Ghosts” (2008) から。
今にして思えば、"Year Zero" (2007)というのは本当にYear Zeroだったのだねえ。

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