3.19.2016

[music] Origin Of The Dreams

風邪なのか花粉なのか不明なまま微熱の虚脱の、魂を抜かれたような状態が続いていて、こんな状態で例えばアピチャッポンでも見ようもんなら冥界に連れていかれてしまうこと確実で、こんなときは音楽しかない、と思って、たまたまやっていたこれに潜りました。 17日の木曜日、渋谷で。

'Origin Of The Dreams' 渡邊琢磨 × 牧野貴 Live Concert

牧野貴の映像と音の世界は吉祥寺の爆音で2回くらい経験していて、気持ちいいとか悪いとかアガルとかオチルとかそういう「効果」とは別に、なんだろうこれはとじっと凝視したまま固まってしまう状態が何度も続いていて、この、表現世界とそれを受容するわれわれも含めたまるごとのアトモスフィアの謎、みたいのを解析したい、ていうのはあった。
渡邊琢磨さんの音でいうと、たしか、COMBOPIANOは昔どっかで見て聴いた、記憶が。

で、これまで見た映像に付いていた音は、割と牧野さん自身とかバンドでの電気・電子系の演奏もしくは音付けによるものが多くて、今回は渡邊琢磨さんの曲による弦楽のライブ - 13台の弦楽器 - 52本の弦の束束束が絡み合う - 付き、しかもPAはzAk、ていう、見なくたって背筋が凍る世界が展開されるに決まっていたの。

最初のパートは、渡邊さんのソロピアノで2曲、チェロとピアノのデュオで1曲、弦が4名になって、この構成(映像なし)で約1時間。 曲順はその場で指示していたようだったが、これだけでじゅうぶん、卒倒しそうになるくらい気持ちよくて、皮膜を剥がしながら眠りの奥底に潜っていく「夢の起源」の序章として圧倒的で、線の連なり、線の絡まり、パラフィン紙のようなわら半紙のような面の重なりに擦れあいに、音楽ってこういうのよね、て、ここんとこ変なノイズばかり鳴っていたので余計にそうおもった。
むかしむかし、Soft VerdictとかWim Mertensとか、聴いていたなあ。

休憩を挟んでパート2で、ここから弦13台による"Origin of the Dreams"。
この作品は、昨年10月に同志社大学で、世界初上映/上演されたらしいのだが、このときの構成は6名で、それと今回のが音楽として映像としてどれくらい違うのかはわからないのだが、人数倍だしね、たぶんすさまじいに違いないと。

チケット切りのところで、プルフリッヒ・エフェクト用のフィルム切れと使用説明を貰ったのだが、あんま使わなかった。 そんなのいらないくらいすごかった。

映像は、まず水が下から上にさらさら流れていく(ような)イメージが淡く浮かびあがって、それがやがて大火事になりパセリの大群に変貌して大爆発して海に潜って、ていうような具合なのだが、もんだいはそれらがどんなふうに見えるのか、ということよりも、いま自分が見ているのはスクリーンの表面で点滅磨滅している光や黒点のだんだらなのか、或はそれらのごにょごにょを裏側で組成して動かしている(かに見える)力(のようなもの)なのか、とか。あるいはあるいは、これらが起こっているのは網膜なのか脳なのか、とか(いつもの)。 こういった視点というか聴点というかの移動や思考に火をつけて深みに誘導するところに牧野作品のおもしろさと豊かさがあって、何度でも見たくなる。

比べちゃいけないけど、プロジェクションマッピングなんてほんとガキの遊びだとおもうわ。

これの後で、ソロピアノのみで”KONTRAST”という15分の小品。こっちは深みに降りるというより表面での攻防がおもしろくて、そこにピアノの白鍵黒鍵がダブされる。昔の実験サイレントに音を付けているようでもあった。

こういう上映/上演てもっとあればいいのに。ライブハウスになっちゃうのかねえ。

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