3.15.2016

[art] Coney Island: Visions of an American Dreamland, 1861–2008

5日の土曜日、Neue Galerieのあとで地下鉄の86thの駅まで走って④でBrooklyn Museumにむかった。
12月に遊びにきたとき、地下鉄の広告で見かけて、これは見たいわ、と思ったやつ。
この美術館に最後に来たのは2011年くらい、そのとき、エントランスはまだ改装工事中だったねえ。

コニーアイランドは、砂浜があってボードウオークがあって遊園地があって、タイトルにある通り "American Dreamland"として150年くらいあの場所にあって、マンハッタンからも地下鉄で1時間かからないくらいなので夏になるとよく行った。 なんであんなに惹かれるのかよくわからないのだが、ひとによってはディズニーランドだったり浅草だったりするかもしれない場所が自分にとってはコニーアイランドなの。

で、昔からいろんな画家、写真家、映画作家、興行主、大道芸人、などなどを呼び寄せてきたこの場所をアート観点でまるごと地引き網してみるとどんなものが引っ掛かってくるのか、ていう展示。  なにもなかった浜辺の時代から遊園地ができて都市の近場の観光/デートスポットとしてひとが集まりだして、そこ目がけていろんな「パラダイス」がわらわら現出した。 なんでだろ? ていうその不思議さ以上に、展示を見ていくと古今のアートとしてぐしゃぐしゃにミックスされた「コニーアイランド」と呼ばれるランドスケープのでっかさ不可思議さに圧倒されてしまう。

例えば、同じような”Dreamland”としてのLas Vegasと比べてみたらどうだろう。
ぜんぜん違うなにかが出てくるかんじがする。

遊園地とか見世物小屋とかの看板とか垂れ幕(タコ男!)とか回転木馬とかひとつ目鬼とか、絵葉書とか、剣を呑みこむ芸人のX線写真とか、ふつーのアートっぽい絵 - George Bellows, Joseph Stella, Frank Stella, 国吉康雄, Red Groomsとか、写真 - Walker Evans, Diane Arbus, Weegee, Bruce Davidson, Robert Frankとか、断片がリピート上映されている映画とかスチールとかもいっぱい。こないだシネマヴェーラで見た”Speedy” (1928), “Freaks” (1932), “Little Fugitive” (1953), “Imitation of Life” (1959), “The Warriors” (1979),  “Requiem For a Dream” (2000), あたりまで。(最近のだと”Brooklyn”はぜったい入る)

館内ツアーをしているおばさんがある写真の前で「ここに写っているのはわたしのおじいさんなのよ!」とか言っていたり、ご当地感もたっぷりでおもしろいの。

遊園地もスリル満点なんだよ。木製ジェットコースターのCycloneなんてガタガタほんとやばくて何年かに一度は死人だしてるのに今だにばりばりだし、あんな唐突に恐怖にさらされる観覧車はないし、ぐるぐる回るやつは終ったあとにみんなげーげー吐いたりしてるし、また行きたいなー。

関係ないけど、”Speedy”(1928)の大乱闘シーンにHip Hopを乗っけてとっても楽しいやつ。
https://tribecafilm.com/stories/z-trip-speedy-live-performance-interview


This Place

コニーアイランドの展示の後、フロアをふたつ降りてみました。

2009年から2012年にかけて、12人の写真家 - Frederic Brenner, Wendy Ewald, Martin Kollar, Josef Koudelka, Jungjin Lee, Gilles Peress, Fazal Sheikh, Stephen Shore, Rosalind Fox Solomon, Thomas Struth, Jeff Wall, Nick Waplington - がイスラエル - ヨルダン川西岸地区に滞在してそれぞれの視点/視線で撮影するというアートプロジェクト - そこから約600枚の写真を展示している。

12名の写真家による写真が明らかにする"This Place" - "That Place"ではなく、「この場所」/「ここ」。
メディア報道やニュース映像でしか伝えられてこなかったあの場所のありよう - より鮮明な、陽の光だったり土の色だったり壁の色だったり地形だったり、どんな人が、彼や彼女が、子供たちが、家族がそこにいて、どんな表情を浮かべているのか、どんな暮らしをしているのか、などなど。

世界のどこにでも、誰にとっても"This Place"はあるのだし、それはあそこではなくてここにある、ていうのは当たり前の認識で結論で、そうだとすると、では、でも、だからなぜ、ここだけこんなふうに”This Place”にされてしまったのだろう? ていう問いはどの写真からも強く響いてくる。 例えばStephen Shoreのカラカラの光景を渡って吹いてきそうな風、とか、いつもの楽しくぶっこわれた家族写真のNick Waplingtonのコーナーにごろんと置かれた浄水用の缶とか。
こないだのアケルマン特集で見た『東から』や『向こう側から』と同じ眼差しを感じる。

世界中がInstagramやSNSのいろんな写真や画像で溢れかえり、どいつもこいつも偉そうに可視化可視化いう世の中になって、こういう異境辺境の事情や状況がきちんと見えるようになっているか、というと実は逆で、情報量が増えれば増えるほど、メディアも含めてひとは自分が見たいもの、自分に都合のよいものしか見ようとしなくなるのではないかと(自戒をこめて)思っていて - この点で日本の政治家やメディアは最低最悪だとおもう - そういうなか、やっぱりこういう展示は貴重だし、もっと見ないとねえ、とおもった。

同じ「場所」がテーマであるのに、コニーアイランドからの落差もすこし考える。

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