1.18.2016

[film] Nostalgia de la Luz (2010)

10日の日曜日の夕方、Uplinkで見ました。
「光のノスタルジア」。 英語題は”Nostalgia for the Light”。
ずっと見たいよう見なきゃと思っていて、「真珠のボタン」の方を見る目処が立っていないのだが、とりあえずこれだけでも。

冒頭、天文台かなんかの機械が重々しく動いていって、チリの北部の砂漠のまんなかにあるらしいその施設がどんなすごいことをしようとしているのか、の説明がその解き明かされる対象である宇宙や星の、その兆しであり表象である「光」の特性と共に語られる。

光は我々の目に届いた時点で既に過去のものである(現在形の光なんてない)、云々。

それから、その砂漠のどこかに点在しているらしい古代遺跡からの発掘物の話とか、そして週末になるとシャベルを持って砂漠になにかを掘りにくる老婦人たちの話になる。 彼女たちは70年代、ピノチェト政権下で行われた粛清-虐殺の犠牲として行方不明になったままの自分の家族の遺骨や遺物を探しに来ているのだという。
収容所がこの砂漠にあったことは確かで、自分の息子や夫たちはここに連れてこられた可能性が高くて、でも未だに何の情報も公開されないので自分たちで探しているのだと。 もう40年以上も。 だって会いたいんだもの。

砂漠の砂の山や海から小さな骨の欠片を探そうとする行為と宇宙から採取される大量のデータの海から星の、生命の起源を探ろうとする試みと、単にそれらを並べて場所や行為の符合を示すのではなく、これっていったいどういうことよ? と考えさせるところまで持っていく。 フィルムは監督Patricio Guzmánの思考の道筋を明確に示して、我々になにかを促す。

太古からの天空と人とのいろんな関わり、国家の政変の犠牲者を束ねて破棄して見えなくしてしまうことと、見えない形で提示される宇宙の謎を見えるようにするために組まれる国家プロジェクトと、それぞれを地表に這いつくばって実行する人たちひとりひとりの言葉と。 こんなふうに考古学者と現代史学者と天文学者を等しく呼び寄せてしまう過去時間の磁場としてのチリの砂漠。 こんなの、地球の反対側のお話し、であってよいはずがあろうか。

探しているのはカルシウムかー、とか言うことではなくて、どちらも時の権力者が指揮して主導した/している、一方は隠して、他方は広める話、一方は過去を、他方は未来を向いているかに見えて、実はどちらも過去の時間に縛られた、閉ざされた世界のことなのだ - であるとしたらこのふたつをドライブするもの、隔てているものって何なのだろう。
最後のほう、砂漠で遺骨を探す女性たちが望遠鏡から空を見るシーンの何とも言えないかんじ。そこに希望なんてないのだが、あえて言うならChris Markerの笑い猫、とか。

そして虐殺の歴史、残された者たちにとっての不条理な時間のありようについては、王兵の『鳳鳴 中国の記憶』(2007)とか、『無言歌』(2010)もあわせて考えたい。 星は結局なかったんじゃないか、風と砂しかなかったんじゃないか、とか。

「真珠のボタン」を見たい。 それと「チリの戦い」も。

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