11.01.2014

[film] Too Much Johnson [work print] (1938)

25日、”Laggies”を見た後、MOMAの映画部門に移動して見ました。
これだけはチケットを事前に取っておいた。

京橋でもMOMA所蔵の古いのが話題だが(だよね?)、こっちでも毎年恒例の“To Save and Project: The 12th MoMA International Festival of Film Preservation”が24日から始まっていた。
これ、いろんなのが日替りで出てきて本当におもしろいんだよ。

今回、日本映画だと溝口健二の「虞美人草」(1935) - 英語題は”Poppy” - と高島達之助の「お嬢お吉」(1935) - 英語題は”Miss Okichi”とかが上映されるし、京橋でも上映される(今日見てきた)Joseph Cornellの新たに発見されたピース - “Untitled Joseph Cornell Film (The Wool Collage)” - とか、古いのばかりでもなくて、Derek Jarmanの”Caravaggio” (1986) - なつかしー - なんかもやるの。

会場はさすがに結構埋まっていて、かつてFilm ForumとかMuseum of Moving ImageとかFilm SocietyとかMOMAで古い映画がかかるときに何処からか必ず現れる常連の古老たちを久々に見る。まだ生きていたんだねえ、じいちゃんたち。

さて、Orson Wellesがメジャーデビュー作「市民ケーン」に先立つこと3年前に撮っていた”Too Much Johnson”、元々1894年の William Gilletteの戯曲を舞台上演する際の幕間上映用に製作され、これまで存在を確認されていたのは40分版のみ、完成版(といっても劇場で単独公開されることを目的に作られた作品ではない)はWellesのマドリッドの自宅が焼けたときに失われたとされていた。 イタリアの田舎の倉庫で怪しげなフィルム缶が見つかった(なんでそんなとこにこんなものが? - はまったく謎だって)のが70年代、これの復元が始まったのが2005年、これが”Too Much Johnson”の66分版であることが確認されたのが2012年でした、と。

サイレントで、ピアノは名手Donald Sosin先生(00年代、Film Forumとかでサイレントの楽しさを教えてくれたのはこの人の伴奏だった)。 ピアノの他に、復元を担当したGeorge Eastman Houseのおじさんがフィルムの進行にあわせて解説してくれる。

ストーリーは単純で、妻がJohnson(Joseph Cotten - これがデビュー作らしい)と浮気をしているのを見っけた夫が怒り狂ってJohnsonを追っかけまわして、最後は南米の方まで行っちゃう、っていうドタバタで、とにかく延々追っかけていくだけで、めちゃくちゃおかしいの。
音楽で言うとデモ音源みたいなもので、未編集で、同じシーンのリテイクもそのまま繋がっているのだが、元がおかしいので何回やられてもよくて、むしろもっともっと、になる。

男ふたりが追っかけっこをして逃げまわるのはマンハッタンのWest VillageとかMeatpacking Districtの一帯らしく、解説のおじさんが映っている通りの名前や番地から「この建物は現存しています」とか「今はすっかり変わってしまいましたがここはそもそも」とか丁寧に教えてくれる。
で、そんなビルの屋上を忍者みたいに追っかけっこしたり市場の大量の木桶や木箱の間でいないいないばあしたり、抱腹絶倒なんだよ。

しかしここから「市民ケーン」に行くか…

あと、最後におまけ上映として、変てこな葉っぱの冠を付けてこの映画を監督するOrson Wellesの姿をとらえた3分間の映像も流されたの。

このフィルム缶を発見したのは映画研究者でも映画史家でも批評家でもない、ただただ映画を愛していたMario Cattoていう地元の若者で、彼はあの缶には絶対なんかあるから、と言いながらもその中身がOrson Wellesであることを知らないまま、30代で亡くなってしまったという。 この上映会はそんな彼の魂に捧げられて終ったのだった。

しかし、終ったといいながらステージ前方での質疑応答はその後30分以上続いて、横で聞いていたのだが半分以上ちんぷんかんぷんでした。 みんな真剣なのね。

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