11.16.2014

[film] Flushing Meadows (1965)

1日の土曜日の昼間、京橋のMOMA特集で見ました。
8分の短編のあとに98分のやつ、2本だて。

箱アーティストとして知られるJoseph Cornellが映像作家Larry Jordanの協力を得て撮影した作品、1995年に発見されて2003年に復元され、当時はGramercy TheatreにあったMOMAの映像部門で上映された。 (これ、ひょっとしたらGramercyで見ていたかも。あの頃なら) 
現時点までに確認されている中ではCornellの最後の映像作品とされる。

クイーンズでウェイトレスをしていた友人Joyce Hunterの死を悼んで撮影した、と解説にはあるが、映像を見ている限りではそれはわからない。 彼女が埋葬されているFlushing Cemetery(Flushing MeadowsのそばにあるMount Hebron Cemeteryの方ではないのね)の、おそらく初秋から初冬の晴れた日の光景がぽつぽつと置かれているだけで、でもバラの花の周りの淡い光とか佇んでいる子供とかを見るとなんとも言えない寂しさが湧きあがってきて、それはCornellの小箱を覗いたときの印象そのものなのだった。

で、これに続けて上映されたのが ー

Sweet Sweetback's Baadasssss Song (1971)
“Flushing Meadows”が白人社会の端っこに遺棄・放擲されたひとりの老人 〜 ひとりの少女の孤独な呟きだとすると、こっちは白人社会にはめられてざけんじゃねえ、と立ちあがったひとりの黒人男の孤独な戦いを描く。 ていう比較もやろうと思えばできないことはないけど、この二本を一緒に見るのは相当に変なかんじ、食べ合わせはあんまし、だったかも。 MOMAは骨董品みたいなアート作品ばっかしを扱うわけではなくて、こういうB級やくざジャンキーなのもやるのよ、ということで。

Melvin Van Peeblesが自己資金とBill Cosbyから借りた5万ドルで書いて監督して製作して編集して音楽も作って主演した、殆どひとりでぜんぶやった世界最初のブラックスプロイテーション映画で、それはそれは強烈に激烈にねちっこく、沸騰する怒りと恨みが渦を巻いて、そのにおいたつ飛沫がこっちに向かってとんでくる、そんなやつ。

Melvin Van PeeblesがSweetbackで、悪い白人警官にはめられて追われて、逃げて、生きる。それだけ。
白人警官がいかに悪くて酷いか、ということよりも、いかに彼は逃げて、戦って、生き延びて、負けなかったか、屈服しなかったか、というその圧倒的な強さ、その粘ってうねる腰と尻の動きのしなやかさ、その歌の力強さに重心は置かれている。それゆえのSweetbackであり、Baadasssss Song、なの。 

それにしても、子供の頃の彼が娼婦から手ほどきを受けてSweetbackとなる冒頭のシーンのボカシのひどさにはあきれた。 国の機関だから? あんたらがいま規制すべきなのはこれじゃないでしょ?

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