5.16.2014

[film] Palo Alto (2013)

木曜日にマイアミに行って戻ろうとしたらぐだぐだで死ぬかとおもって、戻ったら戻ったで低気圧で脳が。

13日火曜日の晩、しょうもない飲み会のあと、21:55の回に駆けこんでみました。
ダウンタウンのSunshine - 先日Emma RobertsさんがNYCで一番好きなシアター、てInstagramで言ってた。 ここはよいの。すれ違いだったねえ。

Coppolaチェーン最後の刺客、Gia Coppolaのデビュー作。 原作は作中、女子サッカーのコーチ役で出ていたJames Francoの"Palo Alto: Stories" (未読)。
大人と子供の中間で揺れうごく3人 - April (Emma Roberts), Teddy (Jack Kilmer), Fred (Nat Wolff)のあれこれを。

すばらしくよかった。
もちろん、こういう青春もの - 特に「大人」の近辺・周辺で揺れ動く子供たちを描いたもの - の評価って人それぞれで、自身の過去と重ね合わせていう人もいれば、自身のなかにある理想化された「あの頃」のイメージとのギャップで語るひともいれば、キャラクターや物語の造型、その出来具合を云々するひともいて、要は映画について語るのとおなじように思春期を(えらそーに)語るその様がなんかやらしいからあてにしないほうがいいよ、と前置きしたうえで、それでもなんかよいの。

部屋の様子、部屋での挙動、運動場、夜の集まり、図書室、夜のプール、夜のスケボー、などなど、これらひとつひとつの場面、そこで子供たち同士が、子供と大人たちがどんなふうに寄っていったり話したり口論したり喧嘩したり泣いたりキスしたりするのか、を丁寧に丁寧に拾いあげる。 それは姉ソフィアが”The Bling Ring"とかで得意げに切り取って見せるクリップやスナップとはぜんぜん違って、鈍重だし重苦しいし、なによりもそこにドラマ - 自傷他傷、喪失、事故、慰め、絆の獲得/確認、などなど - はあんましなくて、それらは"Palo Alto"ていう土地の名前で括るしかないようなものなのだが、でも、こういう夜の暗さのなか、もやもやした音のなかで引き延ばされた時間と光景を知っている。 知っている、ということができる。

Emma Robetsのキスをした瞬間の表情、Teddyの治まらない揺れとぶれのなかに幽閉されたつらさ、逆にFredの苛立ちと狂騒のなかにしか自身を見いだせないつらさ、Gia Coppolaはそれらを薄暗い光のなか、蜻蛉を指で捕まえるようにそうっと、でもたしかにフィルムの上に置いた。 彼らの羽音が聞こえるくらいそうっと。

Emma Roberts、”The Winning Season” (2009)もそうだったけど、世界一体操服が似合うとおもう。
Teddy役のJack Kilmerもいいよねえ (パパKilmerもものすごく変なおじさん役で出ている)。

音楽もよくて、姉との比較ばかりになってわるいけど、"Virgin Suicide"のいかにも節介焼きおばさんぽい曲の置き方と比べるとほんとに地味なのだが、ギターの弦一本一本が、発声のときの息遣いが増幅されて、そういう音が鳴って画面上の彼らに寄り添っているの。


今晩 16日、Times SquareのAMC、21:45の回にJames FrancoさんのQ&Aがあるよ。
(行けない…)

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