5.05.2014

[film] The Docks of New York (1928)

これもこっちから先に書こう。 4日、銚子にお墓参りに行って滞在3時間で戻って吉祥寺で見ました。
この連休はサイレントばっかしかも。 Jack Smithだってそんなようなもんだし。

「紐育の波止場」。

この作品はNYのFilm Forumとかの定期上映館でOld New Yorkみたいな特集やるときには必ずかかる必修のやつなので、勿論見ているのだが、前見たときは確か無音だった。 今回はMarc Ribotさんのギターつき、しかもエレクトリックだと。

Marc Ribotさんを最後に見たのは2010年、このときはThe StoneでのHenry Kaisarさんとのギターデュオで、楽しかったねえ。
バンドもよいけど、ソロとかデュオとかで自在にとりとめなく続いていくのがこの人のスタイルには合っている気がする。

冒頭のマンハッタン東側の埠頭のざわめき、近づいていく船と港と陸地と人が巻きおこす人工音、そこに幾重にも重なってくるギターノイズにやられる。
電線に繋がれたエレクトリックギター、6本の弦の振動だけではなく弦周辺の振動とか揺れとかもマイクで拾って増幅してフィードバックして、すべてをでっかく大仰にひろげてみせる。 実際には細い弦をかしゃかしゃ引っ掻いているだけなのに。

船乗りのBill (George Bancroft)が船から降りて、翌日はまた船なので酒でも飲んで、と思っていると女(Mae - Betty Compson)が突然海に飛びこんだので自分も飛びこんで助けてあげる。 びしょ濡れの女の服を調達してきて、階下の酒場で飲もうって誘って、酒場ではいつものように大法螺とか大喧嘩のパレードで、その勢いでBillは女に結婚しようぜ、て言ってMaeは相手にしないのだが、俺は思ったことはすぐに実行すんだ、とか言って牧師を呼んできて、式になってしまうの。 みんな酔っぱらいだしわーいわーいで、誰も本気にしちゃいない。どうせ朝がくれば。

こんなふうに陸での一晩を楽しんでやれ、っていうBillと、自殺しようとしたばかりで気が昂ぶっているMaeと、同じようにぐさぐさしているもう一組の夫婦と、ゾンビのように取り囲んでいる大量の酔っ払いと、正気で冷静なひとはひとりもいない(除.やってきた牧師)。 それでも、こんなこともよくあるから、程度でふたりは夫婦になって、翌日は当然のように全てが醒めてまた一悶着あって、でもBillは船に戻る。 ほら、だから言ったじゃん、て。

Billのでっかくて力瘤とタトゥーのみ、あとはなんもない、みたいな船乗りの風情と、Maeの口の端がちょっと歪んでふん、みたいな組み合わせがたまんないの。

Marc Ribotのエレクトリックギターは、そんな感情のぶれやゆれを、ふつうとはちがう酔っぱらい状態をびろびろに増幅して酩酊の渦に叩きこむだけでなく、その裏で瞬く心の冷や汗とか、ちがうこんなの本心じゃない、とか、なんでこんなんなるの、とか雑踏のなかの声にならない叫びをも爪たてて引っ掻き傷として画面に捻じこんで、えぐりこんでくる。  

この腑に落ちるかんじが尋常ではなくて、それはどこをどう切っても絵になるおおもとの映画が絶品だから、としか言いようがないんだけど。 酒場の明かり、夜霧、マッチの火、これらも全てが人工で、その光の度合いと調合でひとはくっついたりはなれたり。
ラスト、Night Courtの場面でのギターは、まるでパイプオルガンのように荘厳に降り注いでくるのだった。 

これが80年以上昔の映画だなんて、だれが信じられましょう。


ピアノのサイレントもよいけど、ギターのもよいねえ。
ギターのだと、Lincoln CenterでみたGary Lucasさんによる"Dracula" (1931) が、印象に残っている(アコースティックとエレクトリックをとっかえひっかえで)。

あと、ピアノとシンセだったけど、Mission of BurmaのRoger MillerさんがやっているAlloy Orchestraも素敵だった。

こういうので来日してもらえば若者にだって (むりか...)。

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