6.24.2013

[art] Antonio López

15日、土曜日のお昼くらいに、渋谷でみました。 終わっちゃいそうだったので少し慌てて。

つねに正面からまっすぐに見つめること、長い時間見続けること、長い時間描きつづけること、その親密さ、その低温調理の熱で画布を覆いつくすこと。 或いはすべてを見渡す/見渡せる、というのはどういう状態になることをいうのか、などについて考えてみること。
60-70年代の抽象画やコンセプチュアルアートの領域で、ものすごく難解になるかヒトをポップに小馬鹿にするか、のようなかたちで錯誤したり表象されたりしてきたこれらの問いを、具象画として、ものすごくきちんと誠実に出そうとしたひとつの例が、これ。 なのかもしれない。

結果、画面の上部と下部のパースペクティブがへんに撚れていたり、基準線が水平どまんなかを横切っていたりする。  それにあんな「食器棚」あったら怖いよう。
そこだけじーっと見ると確かに変なふうなのだが、でもトイレとその上の窓とかって、時間によってこういう風に見えることあるよね、とか見えてもおかしくないよね、とか。
(でもあのトイレ、水洗のレバーがなかった...)

だまし絵、とかマジックリアリズム、なんて言うほど大上段な仕掛けではない、木々の向こうから散らばりながら射してくる光、お天気雨、のようなかんじで横からすっと入ってくる爽やかさがあるの。 或いは、それを爽やかな光として感じさせるまでに膨大な時間を費やして対象と対話している、というか。

例えばこないだのベーコンは、それを欲望とか行使される力(の大きさ)との関係において画面に擦りつけようとして、ロペスは対象が目の前に曝される時間の長さでそれを現わそうとする。 
「それ」とは、もちろん、愛のことなの。

まちがいなく、このひとはものすごく大量のDrawingや下絵を残したり放置したままにしているはずで、そちらのほうが見たいなあ。見せてくれないだろうけど。

みんながエリセの『マルメロの陽光』のはなしを引き合いに出すのは言うまでもない。 
けど、今回の展示を見て一番近いと思ったのは、ホセ・ルイス・ゲリンの『影の列車』(1997)だった。 ものすごく真面目に周到に緻密に捏造された過去 - そこが照らしだす現在 - 遡ってふたたび過去、のような入れ子のなかにある我々の知覚。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。