7.12.2012

[film] Don Hertzfeldt 2006-2012

『孤独な惑星』に続けてみました。
これもUS、Junk、カートゥーン版の「孤独な惑星」なのかもしれない。

『きっとすべて大丈夫』3部作の本邦初上映。

3部作っていうのは、"Everything will be OK"(2006), "I am so proud of you"(2008), "It's such a beautiful day" (2012)で、こないだのイメージ・フォーラムの特集上映のは、最初のふたつまでだった。 このときは当然爆音ではない。

ぜんぜん"Everything will be OK"とは思えない病んだビルとそのまわりの人々とか家族とか。
前のイメージ・フォーラムでの特集は、彼の他のナンセンスな小品と一緒だったこともあり、印象が結構異なる。 
たぶんこの3部作だけ纏めてみるとダイレクトに迫ってくるものがあるのできついひとにはきついかもしれない。

そして、3部作の最後の"It's such a beautiful day"も、内容は前の2つからも簡単に予想できるように、ぜんぜんbeautiful dayではない、でも絶望からも遠いものだった。 かといって安寧な、悟りの境地に到達してしまうようなものでもない。

それは向こうからやってくるような。 つまり、
"Everything will be OK"とか "I am so proud of you"とか "It's such a beautiful day"とかそういうのをビルに向かって語りかけているのは誰で、どこからなのか、ということなの。

体も頭もなにもかも、全ての自由とコントロールを失い、感覚と感情のみとなったビルの永劫回帰の旅。
ローファイ版のニーチェなのかもしれないし、東西の古典から、他にいくらでも参照項は出てくるだろう。 個人的には『八月に生まれる子供』かもとか思ったが、そういうのを思い出さなくても、ビルが爆音と共に通り抜けて辿りついた場所は、たぶんあの震える線と滲んだ色と光がなければ現れることがないものだったとおもう。 

3作目はいちばんカラフルでサイケで、目の裏側にそのまま繋がる夢の映像に近いもの - Wendersの"Until the End of The World" - 『夢の涯てまでも』が捕まえようとした夢とか、そんなことを思ったりもした - 機械に繋がれながらも最大限の自由を手にすること、更にその彼方に向かおうとする意志と。

ものすごく抽象的な詩みたいな側面もあって、くるひとにはくるしこないひとには... とかそういう乱暴なことを言ってはいけないのだが、いろんなひとに見てほしい作品であることはたしか。

爆音が本当に適正なのかどうか。 もっとでっかい音でもいいように思えたし、それかうんと高解像度のディスプレイでヘッドホンで微音を拾うように没入するのもよいかも。

これの後は、爆音実験映画+ライブで、前売りも買ってあったのだが、あたまとからだがぜんぜんすべて大丈夫ではなくなってきたのでよれよれと帰ったのだった。

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