7.05.2012

[art] Rineke Dijkstra: A Retrospective

土曜日は11時くらいに仕事が、滞在延長してもなんの意味もなかったようなぼろかすな結果で終わり、なにかに噛みつかないと気がすまないくらいあったま来てお腹が減ってきたのでとりあえず外にでる。

まず、ものすんごく暑かった。着いた日もそうだったが、あれよか日射しは強い。

上のほうの美術館に向かうのはわかっていたので、それなら久々にとCafé Sabarskyに入り、Wiener Schnitzelをばりばり食べてApple Strudelを頬張ってようやく落ち着いた。 相変わらずおいしかったけど、ひとりで$50こえてしまった。

落ち着いたとこで気を取り直してNeue Galerieの入り口の看板のぞいたらこんなのやっていたので見ることにする。 
Heinrich Kuehnにフォーカスした展示はNYでは初だと。

Heinrich Kuehn and His American Circle : Alfred Stieglitz and Edward Steichen

StieglitzやSteichenのような巨匠の、写真表現の奥底を探っていくような粘っこい強さは感じられない分、子供や家族を撮った写真の素朴な美しさに惹かれる。 陰影がついて、色がつく、それだけでその人が現れて嬉しくなる、そんな写真達。 特に和紙にプリントしたシリーズの肌理の素晴らしいこと。 Lartigueの家族アルバムもこのひとのも、見ているだけでじーんとしてしまうのはなんでなのか。

それからGuggenheimに歩いて行って前日(6/29)から始まったこの展示を。

Rineke Dijkstra: A Retrospective

オランダ人写真家のSFMOMAから巡回してきた回顧展。
有名な浜辺のポートレートの他にもいろんな若者たちの写真が。
元気いっぱいとか生々しいとか痛々しいとか、そういう所謂リアル系ではなくて、一見すると無表情でプレーンな印象を与えるのだがようく見ているといろんなことを語ってくるの。

子供と大人の中間にあって、自分の顔や姿態がまだ固まっていない、彼ら自身のなかで自分をどう出したら、見せたらよいのか/出すべきなのか解りかねている少しの戸惑いと恥じらいと、そういった表情とその一瞬を丁寧に切り取っている。

一見するとJuergen Tellerあたりのぺたーっとした写真に似ている気がしないでもないのだが、彼の写真を見ているとたまに感じるこいつなんも考えてねーんじゃねえの、みたいな腹立たしいなにかはやってこない。 愛だよ愛、なのかもしれない。

写真の他に動画作品もあって、壁面4つに順番に子供が音楽にあわせて踊るところを映している。
カメラは固定、白の背景をバックに、ふつーのかっこで、特にダンスが巧いということもない子供たちの、いろんなダンス。 忘我で踊りまくる子もいれば、恥ずかしくなって途中で止めそうになって、でも気にいった箇所が来るとまた踊りだしたりとか、いろんな子がいる。 見てて飽きない。

もういっこ、Guggenheimのぐるり廊下をてっぺんまで使ってやっていたのがこの展示。

Art of Another Kind: International Abstraction and the Guggenheim, 1949?1960
http://web.guggenheim.org/exhibitions/anotherkind/

ポロックから始まって、世界中のど抽象系(要するに何が描いてあるかぜんぜんわかんない系)の平面絵画(たまに立体もあり)を螺旋状にこれでもかと並べてある。 それをぜんぶ"Another Kind"とか括っちゃうのって結構乱暴だよね、とか思ったし、いっこいっこ見ていったら疲れそうだったのでざーっと流した程度。見たかったのはあくまでRineke Dijkstraだったのだが、この展示が複数階に分かれていたので通らないわけにはいかなくて。 上のほうにYves Kleinの青が見えたので、とりあえずそこまで行って戻った。

次のMetropolitan Museumではふたつだけ。

Schiaparelli and Prada: Impossible Conversations

入ってすぐのところで、ばかでっかい画面でBaz Luhrmannによる二人(Schiaparelli役はJudy Davisが)の対話映像が流れてて、この断片は会場のあちこちで繰り返し流されている。 
展示のタイトルである"Impossible Conversarion"には、いろんな意味があって、Schiaparelliが既にいない以上、対話そのものが成り立ちえない、ということもあるし、作者が異なり、時間的に隔たって生まれてきた芸術作品(=美術館にあるのだからね)に果たして「対話」が成立しうるのか、というのもある。
しかしながら、入口のとこの映像でふたりの間の「対話」は成立しているように見えるし、なによりも作品(とその展示方法)を見てみれば、そこに何らかの対話関係、共鳴しあうなにかがあることは一目瞭然なの。

ふたりの間に決定的な相違と断絶があるとすればそれは、「ドレスのデザインは職業というよりはアートの領域にある」というSchiaparelliに対し、Pradaは「デザインはクリエイティブではあるがアートではない」、というとこね。 (この「対話」部分だけ切りとられて会場にでかでかと貼ってあるし、こないだのSPURの特集でもこの部分はピックアップされていた)

でね、ざーっと会場見たふつーのねえちゃんあんちゃん達がおそらく思うであろうことは、「PradaってSchiaparelliのパクリなんじゃねーの?」ではないかと。 この辺のとこを服飾デザインはアートなのかそうでないのか、の両者の見解と絡めて考えてみるとおもしろいのね、たぶん。

あと、イタリアの女たらしおやじ共からすれば、ねえちゃんたちがきれいに見えればどっちだっていいじゃん、であろうからその辺をどうするのか、というのもある。 そこはどうにもならん。 たぶん。

でも展示としてはすごくちゃんと練って考えられた、完成度の高いやつだと思いましたわ。

もういっこが屋上で展示してたやつ。

Tomás Saraceno on the Roof: Cloud City

毎夏の屋上展示はこれまででっかいレリーフとか、どうでもよさそうなのが多かったのだが、今回のはなんかかっこよさげだったし、天気もよかったので久々に上ってみるみるか、と。
きんきんして眩しかった。中に入ってのぼったり遊んだりするのは時間制のチケットがいるようだったが、そんなの取ってる時間はなかったからそこは諦める。 なんか、高級ふうジャングルジム、のようでしたわ。


ひととおり見て、バスで下に下ろうと思ったのだが、こういうときに限ってバスは来ないことになっているので、taxiで南下して一旦ホテルに荷物(展覧会のカタログとか)を置きにもどった。

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