6.04.2011

[film] The Tree of Life (2011)

もう帰りのJFKだす。 あっというますぎる。

行きの飛行機は、こないだとおなじ5月のメニューだったので見るもんがなくて、しょうがないので、ひさびさに"Enchanted" (2007)とか見て、ああこの頃のAmy Adamsはまだ可愛かったのだねえ、としみじみしてから、"The Fighter" (2010)を見て、3年でここまでー、と思って、それからなんとなくもいっかい"Tangled" (2010)を見た。 そんなていど。

着いたら夏で、あっつかった。

ホテルの部屋が空くのが3時、ということで、これは例によって予測していたわけだが、荷物を預けてそのまま地下鉄でダウンタウンに向かって、Sunshine Landmarkで、みました。  

今年のカンヌ、デ・ニーロが審査委員長になった時点で、これがパルム・ドールを取るであろうことは大体予測できた。 彼がダルデンヌ兄弟やカウリスマキに賞あげるわきゃないしね。

予告なしにいきなり始まる。

あんま説明しにくいのね。 すごく変な映画。

50年代のある家族の風景、アメリカ郊外の風景、父がいて母がいて、子供がふたりいて、と、子供のひとりは(おそらく)戦死して、ひとりが歳をとってモダンな建築事務所かどこかで働いているところと、宇宙の起源とか生命の起源とかが、時間の流れも含めてランダムに交錯していく。 

家族の誕生と喜び、成長、イノセンスの喪失、そして死後の世界まで、これらが宇宙とか地殻変動とかバクテリアとか恐竜とか隕石衝突とか、そういうのとぜんぶ繋がっている、とはいわない。 これらのイメージが意味あるかたち - "The Tree of Life" - のようなところに明示的に連鎖・連携・収斂していくわけでもない。  
おおきな樹とか光がところどころ現れるが、これらが特になにかを言わんとしている、とも思えないし、特にシンボリックな使われ方をしているわけでもない。 それぞれのショットは短めで、落ちつきなく切り替わり、音楽はぶ厚い荘厳なやつが絶えまなく、わんわん鳴っている。 音像・音響は、例によってすさまじい。

文章で書いてしまうとなんだそりゃ、な感がいっぱい出てきてしまうが、とんでも、とか、ムー、とか、或いは詩的、とか普遍性とか、そう簡単には言えないような作りになっているように思えた。 映画でしか表現できないなにかを追っていったらここまできた、みたいな。

前作の"The New World" (2005)も、たしかに変な映画ではあった。
文明の起源、成り立ちとその段差、みたいのが、ものすごくいいかげんに乱暴に、並べられていて、でもあそこで流れている河はすごかった。 おなじように、今回は、樹がすごい、とは言おう。

あるいは、”Badlands” (1973)や"Days of Heaven" (1978)にあったアメリカの道路 - Terrence Malick の道路、と言ったほうがよいかもしれないが、それがいっぱいでてくる。

アメリカの50年代、晩夏の夕暮れの風景、子供の頃に見たであろうああいう風景が、なんであんなにおなじような郷愁というか、なんとも言えないなにか、として迫ってくるのか、不思議だ。  なんだろ、あれ。

Brad Pittが父親で、Jessica Chastainが母親(すごくよい)で、Sean Penn - ここでのSean Pennは、Mystic Riverの彼のよう - が成長した彼らの息子で、でも彼らがお互い意味あるような会話をするシーンはないの。 父親は父親で(ああいう時代だから強くて、絶対で)、母親は母親で、子供はああいう親のもとで育つような子供として、ごくふつうにある。 われわれのイメージの根源にある、そういう汎化された中流の家族の像に、われわれのイメージとしてある宇宙だの惑星だのがダイレクトにぶつかる。

ブラピを猿人に対置してみて、『2001年宇宙の旅』と同じようなかんじか、とか思わないでもないが、あれともちがうよねえ。 とうぜん。

音楽の奥のほうで、囁くようなかんじで"How... ?"、”Why... ?”、"Where... ?"ではじまるようなひとりごと、問いかけがずうっと。  これらのつぶやきが宇宙の彼方からとんでくる。

これらの問いは、彼らの生の条理不条理の苦悶から絞り出されてきたわけではなく、また問いの答えが得られたからといって、彼らに安らぎがもたらされるわけでもないようにみえる。 
安息と不安の狭間で、なんでここで、こんなんなっちゃっているんだろ? という溜め息、そのときに見上げてしまう空とか樹とか。 そんなようなー

138分間、ずうっとこれが続く。 これはこれですごい。

これとおなじようなことをずっと昔からやっているのが、例えば大島弓子で、ホームドラマと宇宙とか天体の運行をごく普通に対置して、びくともしない。

そういえば、ところどころで現れる光の渦、あれは「ジギタリス」だよね。

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