5.30.2011

[film] Four Nights with Anna (2008)

金曜日の夕方、シネマヴェーラとどっちにするか悩んで、雨だし、やや近いし、監督挨拶もあるし、500円だし、でこっちにしたの。 

監督は昨年のリンカーンセンターでの"Deep End"(1970) - 『早春』の前の挨拶以来だったが、このときの殺気ぎんぎんのやばそうなおやじ、という印象はなくて、ほっこりしたやさしそうなおじいさん(表面上は)というかんじだった。

田舎の、どこかの寒そうな町で暮らすレオンのあんまぱっとしない、明日はどっちだの日々。
育ててくれた祖母は亡くなってしまうし、焼却場の仕事はうまくいかなくて、解雇されてしまうし。
なにかを探すわけでも、目標をさだめて行動を起こすわけでもなく、かといってその救いのなさに悲嘆したり自棄になったりするわけでもない。
そしてこういったケースにありがちな、ほんのりとぼけたおかしみ、が纏わりつくわけでもない。
全体の色調はあくまでダークで、風景は荒れてて寒そうで、牛ですらのたれ死んで川に浮いてる、そんなような土地と空気。

ほとんどのショットはレオンの背後から彼がどこかに向かって歩いていくところ、彼の目のむかう先、を捕えようとしており、その先に、家の向こう側に住むアンナがでてくるの。

アンナは美人さんというわけでもなくて、ふとってて、猫のトーチカと暮らしてて、いびきかくし、ふつうにそこらにいる町娘さんなのだが、彼女の部屋の砂糖に薬まぜて寝入ったところで部屋に忍びこんで(といっても、どたどたおちつかない)、彼女の部屋でお裁縫したり、お掃除したり、ペディキュア塗ってあげたり、指輪を置いていったりする。

これの数年前に彼はアンナが作業小屋でレイプされているところを見てしまう、という伏線もあったりするのだが、それがあったからかなかったからか、彼は夜の間、彼女の寝ているそばにいて、ただいるだけでなんだかほっとしている(ようにみえる)。

友達になりたいわけでも恋人になりたいわけでもなく、そんなのなれるわけないし、ただそばで、寝顔をみて寝息をきいているだけでいい。 のだとおもう。 
変質者の挙動、とかそういう形容から離れてみることに違和感はなくて、彼がそういうことをしたくなってしまった、せざるをえなかった、ということは彼の表情、目、やや前のめりの歩きかた、遠くで鳴るいろんな音、などからはっきりと伝わってくる。 
そしてこの「そうせざるをえない」ところに持っていったなにか、切迫した情動の渦、のようなものは、”Deep End”にも描かれていたし、たぶん次の”Essential Killing”にも認められるにちがいないとおもう。

画面がとにかくすばらし。
最初のほう、川を牛が流れているところはなかなか鳥肌もんだし、アンナの部屋での陰影とその描写はすべてがバルテュスの絵の世界だとおもった。 
(それを見つめる彼はバルテュスというよりベーコンなのだが)

音も、いつも間のわるいところでとんでもない音が鳴る。
その音に追い立てられるようにして、彼は前に斜めに、つんのめるように走っていく。
そのつんのめり感とどんづまり感が思いっきり凝縮されてしまうのがあのラストで、思い入れを一切拒絶した果てにあらわれるあの壁の厚さと強さときたら。

彼がそれを用意したわけでも、社会が彼を隔てるために現れるわけでもない、彼の声を遮断するために、或いは彼の声を反響させるために原っぱに突然現れたかのような、あの壁。

あの壁は、たしかに以前、"Deep End" と呼ばれたものでもあったのかもしれない。
それとも、別のなにかだったのかー。

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