12.18.2022

[film] Persian Lessons (2020)

12月5日、月曜日の晩、立川高島屋のkino cinemaで見ました。
本来であればこんなのぜったい岩波ホールがやってくれたはずの作品だったのに、会社を早く抜けて立川まで遠出しなくてはならなくなる。こんなによい映画なのにさ。

邦題は『ペルシャン・レッスン 戦場の教室』。監督はウクライナのVadim Perelman、原作はドイツのWolfgang Kohlhaaseによる短編"Erfindung einer Sprache” - 直訳すると「言葉の発明」) - 本当に起こったことなのかどうかは諸説 - によるロシア/ドイツ/ベラルーシ映画で、ベラルーシからオスカーにエントリーされたがベラルーシの人がそんなに関わっていないから、という理由で却下されている。

ユダヤ人のGilles (Nahuel Pérez Biscayart)が大勢のユダヤ人と一緒に車に押し込まれてどこかに運ばれている途中、隣にいた男にペルシャ語で書かれた本を高価なものだし役に立つかもしれんから持っとけ、と渡される。

それはナチスの収容所に向かう車で、途中丘の上で降ろされ並べられた彼らは一斉に掃射されて「処理」されて、でもGillesだけは早いタイミングで倒れて死んだふりしたので弾が当たらず、それを見抜いていたナチスの兵にふざけんな、って立たされるとGillesは咄嗟に自分はユダヤ人じゃないペルシャ人なのだ、と先程貰った本を見せ、兵士はぜったいこれ嘘だと思いつつ上官にペルシャ語を喋る奴を連れてきたら肉の缶詰をやる、と言われていたので彼を収容所に連れて帰る。

連れてこられた「ペルシャ人」Gillesと相対したナチスドイツの大尉Klaus Koch (Lars Eidinger)は、彼に簡単なテストをして、ここでKlausに数単語でもペルシャ語の知識があればアウトだったのだろうが、まったく知らなかったのでGillesがでまかせでてきとーに変換する単語で納得して、Gillesは収容所の台所で働きつつ晩にKlausのレッスンの相手をしていくことになる。

でも、いくら適当と言ったってそれなりの語彙は揃えなければならないし、学習意欲たっぷりの敵はきちんと学んで復習してレッスンに臨んでくるのでGillesのほうでもそれなりに準備しないといけなくて、ちょうど捕虜の名簿を作る仕事を貰ったので各行にある名前の最初の数文字を切って単語を作って意味を添えて、これを(メモなしで)頭の中に蓄積していくGillesも相当な記憶力の持ち主だった、と。

そしてそんなGillesを偽者と信じて付け狙う兵士とかその隣で待遇に不満を抱く女性兵士とか収容所を運営する側にもいろいろあるし、GillesはGillesで裏で陰口を叩かれたからといって引くわけにはいかない - バレたら即死刑だから。教師として強くなっていくのがおもしろい。

という大尉と上層部を除けば全員が一触即発の緊張感の只中にずっとあり、いろいろあってぼろぼろになったGillesがもうこれ以上持ちこたえるのはムリだ、ってなったところで大戦でのドイツの形勢が悪くなり、収容所ぜんぶを畳んで移動することになる。でももうGillesは擦り切れて生きるパワーをなくしていて…

Klausは戦争が終わったら絶縁していた兄のところに行ってペルシャ料理の店を開くのが夢で、そのためにペルシャ語を習おうとしていた。戦争の後を夢見る敵 - 自分を殺そうと思えば軽く殺せる敵が勝手に描いている夢のために、そこから逃れて(周りの同胞は虫ケラのように殺されている傍で)どうにか生き延びるために、ありもしない言語を作って紡いで与えることの虚しさについて考える .. ぜったいに無理だ。

最後に描かれるふたりのエピソードはあまりに対照的、というか薄氷で、痛快さとは程遠い痛ましさがあって、そこに収容所での、基礎も応用もないふたりの間でしか通用しない言語のレッスンを重ねてみる。でも、戦争における敵味方というのもそんな汎用性にも根拠にも欠ける架空の言語のやりとり(のようなもの)に終始するなにかなのかもしれない、とか。でもでも、そんなところで数百万の人間が簡単に殺されてしまった、その恐ろしさにはやはり震えてしまう。

Gillesを演じたNahuel Pérez BiscayartさんはBPM (2017)に出ていた人かー。ぼこぼこにされてぼろぼろに擦りきれていく様がほんとうにリアルで怖くてすごいの。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。