12.07.2022

[film] EO (2022)

11月26日、土曜日の午後、東京都写真美術館のポーランド映画祭で見ました。

この日は裏でJonas Mekasの特集上映もあったのだが、どうしてもロバ映画を見たかった。

今年のカンヌでJury Prizeを獲って、来年のオスカーの国際長編映画部門でポーランド代表にもエントリーされていて、NY Times紙の今年のCritics Pollの一位にもなってしまったJerzy Skolimowskiの新作。脚本は彼の妻のEwa Piaskowskaとの共同、撮影は”Cold War” (2018)が印象的だったMichal Dymek。

“Au hasard Balthazar” (1966)-『バルタザールどこへ行く』を誰もが思い浮かべるだろうし、作る側も十分意識はしているのだろうが、あそこまでかなしーかんじはないので安心して。でもだからといって”Babe” (1995)のように見終わってかわいー! って満ち満ちてしまうようなものではもちろんなく、人間界の都合とか気ままな暴力に翻弄されて不条理に彷徨うロバの、そして誰にもちゃんと守ってもらえないロバの – つまりこれは力を持たない我々の物語としても見ることができて、“Essential Killing” (2010)の世界とも繋がっている。そもそもSkolimowskiがただのロバかわいー映画を撮るわけがないし、でもそういうとこにあんなロバを持ってくるなんてじじい〜 くらいは言いたくなる。

改めて「ロバ」って、馬や犬ほど人の友達になってくれないし(檻に入れられたEOの外を軽快に走っていく美しい馬の描写がある)、猫ほどアナーキーでもないし、食肉にもならないし、タフでスローな重労働に向いてて、鳴き声がそのまま名前になるくらいどうでもよくて、すべてが人間の都合でいいように利用されてきて、でも暴動もストもしない。 そんな彼らの孤独な目とキュートさが前面に出てくる。

冒頭、サーカスで真っ赤なばちばちのライティング(冒頭にWarningがでる)のなか、少女Kasandra (Sandra Drzymalska)と一緒に舞台で喝采をあびるEO(ぜんぶで6頭のロバが演じているらしいのだが、メインはTakoっていうロバだって。Takoと呼ばれるロバ..)は、彼女と一緒で幸せそうだったのに突然やってきた動物愛護団体から虐待容疑があるし虐待されてるから、って強制的に連れ出されて、そこから彼の放浪が始まる。

カメラはEOのクローズアップ(目と顔半分)が多いしロバ目線もあったりするのだが、使命感を抱いたロバが苦難の果てにKasandraの元に戻ったり終の棲み処を見出したり、そういうお話ではないの。むしろロバがそんなこと考えるわけないし、運命なんて信じてないし、とか、そのへんは一貫して徹底しているような。

ひとつは野生のも含めたいろんな動物たち - フクロウとかキツネとかカエルとかいろんな獣がうごめく夜の森の描写のなかに押し入ってくる軍の描写とか – との対比があり、もうひとつは先の見えない彷徨いのなかでEOが知り合ういろんな人間たちがいる。よい人もいれば危ない人もいてはらはらするのだが、印象的だったのは草サッカーをしているふたつの陣営があって、そこに立ち寄ったEOがたまたま勝った一方のチームに祭りあげられて、でもその晩、祝勝しているパブに殴りこんできた猛り狂う敵チームに言いがかりでぼこぼこにされてしまうとこ。 ほんと、ワールドカップもオリンピックも、あんなのいらないし早くなくなってほしい、って改めて思うし。 で、ここまで来ても、EOがそういう事態に嵌ってしまったのって、EOのせいだと思う? EOがロバだから? EOの努力が足らないとか? いう? (いろいろ)

で、そうやっていろんな人を見たり会ったり、暗い淵を覗いたりして、ポーランドからイタリアまで流れ着いた果てに、ようやくまともそうな修道院のひとに拾われたようで、今度こそああよかったねえ、となったところでそこにいきなりIsabelle Huppertが現れるので動揺する。 え? なに? くらい。

ここでどんなことが起こったのかについては書きませんけど、Isabelle HuppertはIsabelle Huppertっていう固有種か、宇宙人か、くらいのことは思って、映画としてのスケールもここで別の次元に突入したかのように見える – それが全体の構成とかバランスから見たらどうか、という議論はおそらく、あるのだろうが。

ああ我々もEOくらいの(不)器量と偶然でなんとかこの世を渡っていけますように、とか。

あと、ロバってやはり素敵で、パーフェクトなシェイプで、ロバが橋の上にただ立っているだけで見事な絵になるなー、って。


Chopin. Nie boję się ciemności (2021)

“EO”の前にみた58分の中編ドキュメンタリー。 
邦題は『ショパン 暗闇に囚われることなく』。英語題は”Chopin. A tale of three pianos” (でも画面上に表示されたタイトルはこれじゃなかった気が)

3人– シリアの、韓国の、ポーランドの、それぞれの事情や背景をもつピアニストが、レバノンのベイルートで、韓国では北朝鮮との国境付近の橋で、ポーランドではアウシュビッツの跡地で、ショパンを演奏するまで。各ピアニストの過去とその土地に対する思い、そしてショパンとピアノ演奏にかけるそれぞれの思いを語る。

そうだねえ、しかないのだが、できればもうちょっと、なんでショパンなのか?(スクリャービンとかジェフスキーとかではだめ?)とかを聞きたかったのと、演奏を切らないでもっときかせて! って思った。
 

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