1.27.2017

[film] Eye in the Sky (2015)

14日、土曜日の夕方、日比谷でみました。 『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』

ケニヤの武装勢力がひしめいているやばいエリアの一軒家に欧米が追っかけているテロリストのNo.4と5が集まっている、ていう情報を得て、英国の内閣と軍司令部とネバダの米軍基地のドローンの操縦部隊と現地の工作員がそれぞれ動いて、ぜんぶ遠隔の映像でその家にある爆弾の束とそこにいるテロリストたちが自爆テロを決行しようとしていることをつきとめて、さてどうする? になって、この状況だったらドローンの空爆で家ごと吹っとばすしかないな、となって準備をしていくのだが、ボタンを押すときになってその家の前でパンを並べて売り始めた女の子が現れて、再びさてどうする? になるの。

英国の軍服組にHelen MirrenとAlan Rickmanがいて、米国でドローンの操縦桿を握るのがAaron Paulで、彼らの関係の深さ浅さや連携の仕方がどうの、という話ではないの。 彼らはそれぞれの地域(間)で決められたポリシーとルールと役割に則ってジョイントのオペレーションをやろうとしていて、それらは全て物理的な接触を必要としない空中の、仮想のどこかで行われていて、リモートで不可視で、まあそういうもんである、と。

テーマのひとつが、こんなふうに実戦場から遠く離れた会議室で行われるようになってしまった戦争の、ぜんぜんスマートではない実情 - リアル戦争の戦場であれば基本全てのコマンドが現場の指揮官に委ねられるのに、こっちのは想定ルールブックにないもの全てに上の判断と承認が必要となるのでやたら面倒で時間かかって、けっか末端は死にそうになる - というもので、これは今やどこの職場にもあることよね、なの。

もうひとつは、テロと紙一重のようなかたちで闇の行動としてミクロに執行される現代の戦争のありようで、昔だったら戦場の隣でパンを売るなんてあり得なかったのにそういうことができる状態、起こりうる状況になってしまっている。 そして勿論、国や軍は決してそれを「戦争」とは呼ばないだろう。 どっかのアホな政府がまさにそうしているように。

もうひとつは、テロであれ戦争であれ、これは権力とテクノロジーを握った特定階層のひとによる人殺しで、このような形で執行されてしまう殺人をどう正当化できるのか、これは倫理とか論理をこねくりまわせばどうとでもなる正解のない世界(と彼らは言うのだろうね。違うと思うけど)で、でもそれよか更に怖いのは、倫理や論理を飛び越えて、テクノロジーそのものは割と簡単に手に入ってしまうし実行できてしまうのだ、ということなの。
この映画は、自らを「正義」と信じて疑わない欧米のチームによるものだったが、これって全く逆のかたち、別の「正義」のもとでも容易に起こりうることで、それが例えばシリアのとか。

ラスト、全てが終わっても誰ひとりすっきりしていなくて、Alan Rickmanは子供に買っておいたぬいぐるみを誰かにぽいってあげてしまう、そういうとこはよかった。

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