6.17.2015

[film] Partie de campagne (1936)

13日の土曜日の最初の回、渋谷でみました。
どクラシック - 「ピクニック」。 英語題だと”A Day in the Country”。

もう何回も見ているやつだがデジタルリマスター版は初めて。 補助椅子が出ていた。当然よね。

美しい、夢のような映画、ていうのは嘘でもなんでもない。 怖い夢とか嫌な夢はいっぱい、いくらでも見ることができるけど、ほんとうに美しい夢、夢のような夢って、そんなにはないし、はたしてどんなのだろう? とかなるでしょ。 この映画はそんな限りなく美しい夢のサンプルとして、こんな夢を見れたらほんとに素敵だわ、ていうののリストの常に上位に、天上に燦然と輝いている。

初夏の木陰でハンモックに揺られてこんな夢をみながら、夕立の雷にやられて即死するのが理想。

馬車に乗って田舎にピクニックに来たふつうの家族 - 祖母、父母、娘、その婚約者とそれを迎えうつ女たらしの地元の若者ふたりと。 ブランコに乗って、原っぱでおいしいお食事たべてワインを飲んでとろんとしている母娘を見て、若者たちはあの二人を引っかけよう、と小舟に乗りませんか、て誘う。 小舟は2槽あって母と娘のどっちをどっちが、て揉めたりするもののとりあえず快調に川面を滑りだす。 やがて雨がさーっと来たり、木陰に身をよせた婚約者のいる娘は。

そして月日を経てからの同じ川べり、同じ木陰での再会の、たまんない感傷と余韻とうつろう季節と。

どこをどう切ってもそこには光る空と雲があって木々がそよいで衣服のひだひだがあって体の曲線があって、誰もがふつうにいう、印象派の絵画の世界そのままで、色がついてるのがよいのか光がきれいで風がそよいでいるのがいいか、そんな違い - どこでどうやってインプリントされたかしらんが我々はあの世界にうっとりするように仕組まれているので - なんてどうでもよくなる。 絵画になかったのは水面をさーっと叩いて遠ざかっていく雨の粒とかぐるーんてまわるブランコの浮遊感とか。

デジタルリマスターのすごさもあるところにはあって、この驟雨のところとか、おばあちゃんが抱きあげる子猫のほあほあ逆立つ毛とか、娘の頬をつーんとつたう涙とか、印象派の絵画をどれだけ修復したってこんなふうにはならないよ。とうぜん。 

これの完成版はどんなだったのだろう。 て夢想しつつも、永遠の未完の40分、ていうのがこれほどふさわしい映画もない、とも思う。

何回見てもなんか発見があるのだが、今回のはエストラゴン = よもぎ、だった。
でも、エストラゴンのオムレツとよもぎのオムレツはぜったい別のものではないか、とか気になって眠れないの。

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