2.27.2015

[film] The Disappearance of Eleanor Rigby: Her / Him (2013)

シンガポールにいます。 いろいろ言いたいことはあるよ。

NYに行く前に見た映画で書いてないのがいっぱいあってどうしよう、なのだが、渡米前でも後でも思いだせるやつとか書きたいやつから書いていけばいいや、ということにしたの。 適当にだらだらー

14日土曜日の夕方に”Her”を見て、15日日曜日の昼間に”Him”を見た。
あ、“Her”が「ラブストーリーズ  エリナーの愛情」、“Him”が「ラブストーリーズ コナーの涙」ていうの。

“Her”が100分、”Him”が89分、あと、2014年にふたつをマージして作られた”Them”が123分。

出会って恋におちて一緒になって子供が生まれてやがて別れた男女ふたりの、同じひとつの時間空間、ふたつそれぞれのあたまんなか、を専有していたあれこれを彼女の側から描いたのが”Her”、彼の側から描いたのが”Him”。 でもこれは「ラブストーリーズ」なんかではなくて、そう呼びたいひとはそう呼ぶのかもしれないけどそんなの大きなお世話で、原題にあるように彼の前から突然姿を消したEleanor Rigby (Jessica Chastain) の前と後に横たわるいろんな「?」に対する答えを探す物語なのだと思う。それをドライブしたのはかつての恋とか記憶、なのかもしれないけど、「ラブストーリー」に帰結する強さを持つところまでは至っていない。

どっちから先に見るか、で印象は結構異なる気がするのだが、わたしは”Her”からみた。

“Her”の冒頭、Eleanorは橋の上からぽちゃんと飛びおりて怪我して実家に引き取られ、髪を切ってリハビリしつつ父親(William Hurt)に勧められてCooper Unionに聴講に通うようになって、突然再会して追っかけてきた彼 - Conor Ludlow (James McAvoy) ともぎこちなくて、でも彼女も彼も真剣で、でもどちらかがどちらかをリードしようとしても絶えず失敗してその繰り返しで、でもその、もはや恋とは呼べなくなってしまったかもしれないふたりのあがきは、どこに向かってなにをもたらすのだろうか。

“Him”は、彼女が飛びおりるより前の、出会ったふたりの楽しい頃からじりじりとどん底に落っことされて、そこから延々続く彼の苦しみとかうんざりとかぐったりとか。 かわいそうにー。

“Her”では彼女をはらはら見守る家族 - Isabelle Huppert, William Hurt, 妹 - がいて、そこも含めてどこかに向かおうとする彼女の「逃走」が、”Him”では人生の先輩としての父親 - レストラン経営者として成功した - との確執も含めた交流と共に「成長」が、キーになっている気がして、ふたりはお互いそれぞれを過去の記憶や家族から切り離されたたったひとりの”Her”や”Him”として見ることができなくなっていて、でもそのことに気付いたときに、ひょっとしたら何かが始まるのかもしれない、という極めて控えめな示唆と共に映画はおわる。

まあ、あとは主役のふたりが巧いというのもあるけど、Herみたいにぎすぎすして触りようがない彼女とか、Himみたいにナイーブなんだか無頓着だかわかんない彼とか、ごくふつうに居そうだし、イーストヴィレッジを中心に展開する(恋)物語の足に地がついた感 - NYなんだから - の気負いゼロであの辺のアパートのインテリアとか町を自在に動き回るかんじとかの落ち着きようがすばらしかった。 “Her”と”Him”で我々はほぼ同じ風景を続けて見ることになるので、この辺が緩いとすぐわかっちゃうし。

Herが何度も駆けこむAstorの地下鉄の入り口、ちらっとうつるPorsenaのウィンドウ(ここのEscaroleサラダとラザニアとLemon Olive Oil Cakeは世界一おいしい)とか、コーヒーを買うVan Leeuwenの屋台、とか。

で、そこがきちんと描けているが故にふたりの、どこかに引っかかろうとする必死さ、切なさが際立って波を起こすの。

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