2.11.2013

[art] George Bellows, 他

1月28の週、NYでの展覧会関係を3つ、纏めて書いておく。

日曜日着で土曜日発(ああ、Stormがあと一週間早く来てくれたら飛行機とべなくてよかったのに)、というごく普通の出張滞在パターンの場合、美術館に行くのが一番難しいの。

到着した日曜日は浮き足立ってて絵を見たりしている余裕なんかないので、美術館に足を運ぶのは平日の夕方しかないのである。しかも月曜日は大抵のとこは休みで、木金以外は5:30とか6:00に閉まってしまう。 
ま、そんなの考えてないで仕事しろ、ってことなんだけど。

1.29日の火曜日、一瞬の隙をついて地下鉄で86th、そこから小走りでMetropolitanのフロアに駆けこんだのが17:10、閉館は17:30なので、この時間になるとチケットブースには人がいなくなっていて、タダで奥に入っていくことができる。しかし、並行していくつかの通路の閉鎖/囲い込みと客の追い出しが始まっているので、変なとこに入り込むとデッドロックでおだぶつで、スリル満点なの。

当然のように下調べなんてしてこなかったので、目当てのはあそこ、と見当をつけて階段を駆け上がって、フロアにいる係のおばさん数名にやんわりブロックされつつもう終わるんだけどー、って言われつつも指で"3 minutes!" てやりながら滑りこんだのがこちら。

George Bellows
http://www.metmuseum.org/exhibitions/listings/2012/bellows

1882年にオハイオで生まれて1925年、42歳の若さで亡くなったアメリカの画家の回顧。
1911年、Metropolitan Museumに最初に作品を買い上げられた時、彼はまだ29歳だった。

この展示のタイトルにもなっている有名な拳闘の絵 - "Stag at Sharkey's" (1909)を始め、"Blue Snow, The Battery" (1910), "New York" (1911), "Forty-two Kids" (1907), "Beach at Coney Island" (1908)、などなどの20世紀初頭のNew Yorkの景色とそこで暮らす人々の表情が素朴に、しかし活き活きと切り取られている。 同じ年(1982年)に生まれたEdward Hopperの絵にある静けさ - そこから漂ってくる孤独な影とは対照的な雑踏や人の動きの強さと明快さがあって、いいなー。
これが今から100年前のNew Yorkの景色なのだ、と。
約15分、でも点数はそんなに多くなかったのでなんとか。


2.30日水曜日の夕方、7分くらい真横に走ってICP(International Center of Photography)で見ました。 6時Closeで中に入ったのが5:20頃。やはりおばさんに閉まっちゃうのよ、って言われ、いいの! って言ったら学生料金($10)で入れてくれた。 さんきうー。

Roman Vishniac Rediscovered
http://www.icp.org/museum/exhibitions/roman-vishniac-rediscovered

1897年ロシアで生まれて1940年に米国に渡ったロシア系アメリカ人の包括的な紹介。
ホロコースト前の東欧ユダヤ社会の生活、特に子供達を撮った写真がすばらしいの。
ひとりひとりの子供達の目と表情を見ていると、この後の彼らの人生はどんなふうに転がっていったのだろう、って吸い込まれて目がまわってくる。
これはカタログを買いました。

もういっこ、戦争報道写真のChimの展示もあって、こちらも子供達の姿が目に刺さる。

We Went Back: Photographs from Europe 1933–1956 by Chim


3.1日金曜日の夕方、MOMAは特になにがなんでも、ていうのはなかったのでたらたら行ったらタダで入れてしまった。ラッキー。

一番見たかったのが"Inventing Abstraction, 1910–1925"ていう展示。
アメリカの美術館て、こういう起源を紹介する教科書展示がほんとにうまいと思うのだが、これも正にそうで、なんといっても下のサイトの網目図ね。

http://www.moma.org/interactives/exhibitions/2012/inventingabstraction/

例えば国や地名や固有名をもった人物、といった具象・名・物を捨てて、「美」を転用・敷衍可能な「抽象」概念としてネットワーク上に、網目の上に散らしていくこと、更にそういう行為そのものもアートとして成立しうることが発見された時代。 そんな1910年代に誕生した架空・妄想のネットワーク、その形象、地図を大風呂敷の上にばーんと拡げてみせて、これもまたAbstractにぐにょぐにょ動いていく。

展示スペース内には仕切られた小部屋があって、そこでは"Reinventing Music: 1910-1925"というタイトルで20世紀前衛音楽のスタンダード(Varèse, Schoenberg, Ives, Webern, Debussyとか)が流れていた。 けど、音が小さすぎて(まわりがやかましすぎて)あんま聴こえないの。

それから同じフロアでやっていたこれ。

Tokyo 1955–1970: A New Avant-Garde
東京の前衛芸術にとってこの区切りがどういう意味を持つのかちょっと調べてみたが、あんましよくわかんなかった。 実験工房は51年からだし、具体は54年からで、あれはTokyoじゃないし、展示されていた岡本太郎の「森の掟」は1950年だし。
前の"Inventing Abstraction"もそうだったけど、とりあえず15年で切っているだけなのかも。

点数はそんなになくて、全体としてはハイレッド・センターと工藤哲巳が圧倒的。
でも、実はこれだけで十分なのかも、とか思った。 最近の日本の若いアーティストなんて工藤哲巳を前にしたらペットみたいに人畜無害だよね。

それからムンクの「叫び」、世界に4バージョンある「叫び」のうちの唯一の個人蔵、パステルバージョン、ていうのが展示されていたので見た。 油彩でみっちり塗りこめられてない、やや風通しよく灯籠流しで風に飛ばされていっちゃうような「叫び」。 これはこれでよかったかも。

でも、ムンクは他のもすばらしい(すぐ横に小さい展示コーナーがあった)ので、みんな、そっちも見ようね。 あと、絵の横であのポーズして携帯写真撮りっこするのはみっともないのでやめよう > 東洋人のみんな。

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