2.27.2012

[film] Road to Nowhere (2011)

25日の土曜日、髪の毛切った後で見てきました。 ようやく。

うううこれならあと2回でも3回でも見れるのに、なんでもっと早く見なかったんだろばかばかばか、な作品だった。 ほんとにすばらしい、極上の蟻地獄だわ。何度でもずるずるにはまりたい。

2004年にBAMで"The Shooting" (1966)の上映(たしかNew Printだった)があって、その前年、リンカーンセンターの『断絶』(1971) - もちろん初めて見て - でレンガで頭をぶん殴られていた自分は当然のように見に行ったのだが、上映後にMonte Hellmanのトークがあったの。

そのトークは、『断絶』のメジャー公開時の話しからなにからめちゃくちゃ面白かったのであるが(そこで『ミツバチのささやき』は史上ベスト3のうちの1本に挙げられていた)、その最後に、来年には新作ができあがる。 西部劇になる! といったら会場がどよめいたのだった。

で、その「西部劇の新作」- 7年後の - がこれだったのか、な (?) と。

「実際に」あったノースカロライナの州議会議員の醜聞が絡んだ殺人事件(+自殺?)を題材に映画を撮る、そのキャスティングと撮影の現場、ふたつの死体、実際の事件をレポしたブロガーと実際の事件の真相を掘り続ける保険調査員、実際の事件の背後にいるらしいハバナの黒幕、などなどが、ノースカロライナ、ハリウッド、ハバナ、ローマ、ロンドン、などを繋いで何層ものぐるぐる特大の毛糸玉を投げてくる。

誰もそのほどき方をしらない。たぶんほどけることもないし、ほどけなくていい。

全てデジタルで撮影されたというその画調は過去も現在も撮影対象も被撮影対象もすべて同じトーンで切れ間なしに繋がっている。ラストのローレル/ヴェルマの顔は眠っているようにも死んでいるようにも見える。 表でも裏でもどちらでも。
こういうことをやるとわけわからなくなるはずなのにそうならなかったのは脚本が神業的にしっかりしているからだと思う。 ものすごい時間かけたのではないか。

明るいお話ではない、でも重くはないし苦しくもない。
フィルム・ノワールとはダークサイドを描いた映画だと、パンフで監督は言っている。
ダークサイドに光があてられることはない。あたったら、解き明かされてしまったらそれはダークサイドではなくなるから。 ダークサイドをそのまま、「人間の努力の裏側」 - by John Huston - としての犯罪のありようを慈悲もへったくれもなくそのまま提示してみること。 
見るほうは、そのままダークサイドにのまれてしまうこと。

"Road to Nowhere" - どんづまりがある、ただそこにある、ということ。 抜けられない。
かっこいいったらないの。

劇中で名前もでてきたアルトマンの映画だと、最後は土台の構成をひっくり返すような同様のぐじゃぐじゃになっても"A Prairie Home Companion"にあったような"Show must go on"的なやけくその開き直りに向かうところが多かった気がする。
こっちは"Road to Nowhere"、と。 トンネルの先はなく、監獄の扉は閉じられたまま。

エンドロールの最後に、"This is a true story" とでる。 ("Based on…" ではない)
これが、この映画で描かれた事の連なりと重なり、その厚みこそがTrue Storyである、というのもあるし、ローレル/ヴェルマとミッチェルの愛だけはほんもんだった、というのもある。 たぶん。

あと、これはあてつけであんま関係ないけど、"Road to Nowhere"で"True Story" (正確には"True Stories"だが)というとTalking Headsでもあるの。  種類はぜんぜん異なるものの、Tom Russellの音も、David Byrneの音も、どちらも、それぞれのやり方で「アメリカ」を志向していた、というところはあるのか。

「断絶」もやっぱし見たくなったかも。

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