2.06.2012

[film] 清水港の名物男 遠州森の石松 (1954)

去年、マキノの次郎長三国志9部作がDVD化、というニュースを聞いたときはおおついに!と盛りあがったのだったが、パッケージを見て一挙にテンションが落ちて自分内であれはなかったことになった。

表紙なんていいじゃん中味じゃん、なのかもしれんが、映画館で見る版を正のマスターとしているものにとって、DVDに期待するものなんてパッケージとおまけにしか、そこにしかないのよ。
5年後くらいに、Criterionが出してくれることを祈念したい。 

で、そんなふうにしょんぼりしている次郎長三国志ファンのためにシネマヴェーラが用意してくれた(に違いない)今回の特集『次郎長三国志&マキノレアもの傑作選!』。 ありがたやありがたや。

土曜日の初日に見ました。 2本とも何度も見ているけど、何度でも。

最初が52年の『次郎長三國志 次郎長賣出す』。
まあ最初だからね。 次郎長はまだぼんくらでおろおろしがちで、面白いのは桶屋の鬼吉(田崎潤)の破れかぶれのめちゃくちゃとか、おれは武家なんかいやなんだようと泣いてドロップアウトする大政(河津清三郎)とか、そっちのほうだったりする。

あとは路地から海のほうに向かっていく線とか、夜の海とか、最後とこの川の光とか、今にして思えばここから三国志として広がっていくであろう世界の起点が実にかっこよく撮られているの。
浪花節もいいよねえ。 あれ英語字幕だとどうやるのかなあ。

続いて、ニュープリントの『清水港の名物男 遠州森の石松』。

副題をつけるとしたら「石松の恋愛教室」しかない。
9部作で転がっていく喧嘩殺傷わっしょいの男男男の世界から遠く離れて、人に惚れる/惚れられるとはどういうことなのか、をハード童貞である石松の成長といろんなひととの出会い、胸にしみる台詞を通してしっかりお勉強できるようになっている。

すんばらしいのは、そこで展開される恋愛観みたいのが次郎長三国志(あるいはマキノの世界)を貫く心地よい出鱈目さ、乱暴さと見事に繋がっていることなの。 でっかい雲のような壮大な任侠伝のなか、でてくる男女はどいつもこいつもかっこいいったらない。

冒頭、金比羅参りに行ってこい、ただし酒も喧嘩も博打もだめ、女はいい、30両やるからしっかり勉強してくるように、というセクハラ&パワハラ極まりない要求が組織の上から落ちてくる。 

石松はぶつぶつ言いながらも旅に出て、道中で会った小政(東千代之介)に恋の道を教えてもらって、現地で女郎の夕顔に一目ぼれして(ひとめで、ほんとにひとつしかない目でひとめぼれってやつで)、でも泣く泣くお別れして、帰り路に寄った先で身受山の鎌太郎親分にぼこぼこに怒られて(なんでそんな娘さんを置いてのこのこ帰ってきた? ばかかてめえは!)、で、更に寄った先で夜討ちにあって、やっぱり俺は死ぬわけにはいかねえんだなぜなら恋しちゃったんだから、と開眼するの。

本篇(9部作)のほうではもちろん、石松は殺されてしまうのであるが、ここでは死なないの。

それまで、吃音 → (吃音治って)片目と不具の道を生きてきた石松は、(夕顔は)俺がいるからこそ咲く花よ、だから俺は死ねねえ、死なねえんだよ、と悟ったとたん、彼の両目が開き、パーフェクトな恋する男子として驚異的なパワーを発揮して敵をばさばさ斬りまくる。
その覚醒した石松(中村錦之介)の透きとおった美しさを見よ、なの。 
(それにしても、だ。 片目とはいえ、中村錦之介がぜんぜんもてなくて女を知らないまま来たというのは相当無理な設定だよね)

アメリカの学園ものによくある、みんなの笑いものだったナードが恋を知ったとたんに大活躍、の源流はこんなとこにもあるの。
ここは学園じゃないから先生なんて出てこないのだが、志村喬の鎌太郎と石松のやりとりが教えてくれることは、ほんとに豊かでいちいちじーんとくる。

で、この映画のなかで死なないとはいえ、ほんとは死んじゃうことはわかっているので、そうなるとあのラストは胸に刺さる。

でも、映画ぜんたいで見たときにはやっぱし、第八部「海道一の暴れん坊」の筋金入りの痺れるようなかっこよさには及ばないかなあ。
あそこでの森繁と越路吹雪はとんでもないからねえ。

このぴかぴかのニュープリント、アメリカに持っていきたいなあ。 
ぜったい受けると思うんだけど。

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