2.12.2012

[film] Page One: Inside the New York Times (2011)

2011年の米国滞在中に見たかったやつがかかったので、10日の金曜の午後、半休取ってみました。
なんでこんなののために会社休まなきゃいけないんだよ、であるが。
平日3回しか見ることができないんだもん。 

恵比寿映像祭。テーマは「映像のフィジカル」。 英語だと"How Physical"。
… よくわかんないわ。   いっそ"Let's Get Physical "とかでいいじゃん。

ま、とにかく映画はおもしろい。
景気低迷に伴う広告費圧縮とネットへの移行で米国の新聞社がローカル紙も含めてばたばた倒産していくなか、New York Timesはだいじょうぶなのか、と?

テクノロジーに経済、それに伴う消費者の意識の変容が既存の構造に大きな変革をもたらす、こんなことは新聞業界に限った話ではないし、そもそもなんでNew York Timesなんだよ、特別扱いすんなよ、という声があることはわかる。

でも、New York Timesだけは(なんとか保ってほしい)、というのもわかるの。
日本の新聞も雑誌もぜーんぶなくなったってちっとも構わないが、New York Timesがなくなったらとっても困るし、とっても嫌だ。 個人的には。
ここのMusicとMovieとBooksとDiningのセクションがなくなったら自分の脳内行動範囲はいまの半分以下になってしまう気がする。

New York Timesの日曜版を店頭で買うと、90年代は$2.5だった。いまは$5なの。
それでも必要なんだよう。

映画は、なんでNew York Timesなの? というのと、Timesはまだたぶんだいじょうぶかも、というのを、いち部署であるMedia Deskの記者の奮闘を通して描き出す。

記者のひとりはブロガーあがりのニュースおたくの若者(Brian Stelter)で、ひとりはコカイン中毒で逮捕歴のある中年を過ぎてからTimesの記者になったおじさん(David Carr)、特に後者の、Tribune社の破産→スキャンダル報道記事の作成を通して、新聞記者のお仕事ってこういうことだ、易々とひっこむわけにはいかんのだ、という。

このおじさんのドスのきいた佇まいがおもしろい。 基本は出かけていって取材対象と直接話したり喧嘩したりしながら情報を引き出して文章に起こす、それだけなのだが、それって昔からいる男臭いブン屋のかんじそのものなのだが、それがデスクトップ上のリンクにコピペにコラボで済んでしまう(ように見える)今のメディアのありようから遠いところで、勝手にやけくそに突っ走っていくように見えるの。

だからTimesはだいじょうぶなんだとか、この男が何かを変える/救うとか、そういう話ではまったくないのであるが、なんかいいの。

勿論、そんな明るい話ばかりではなくて、かつてのJudith Millerのイラクの核兵器保持ウソ報道やJayson Blairの盗作捏造とか、辛いリストラといったTimes内部の瓦解、それにWikiLeaksとかGawkerの台頭とか、そういうのもあって、その上で、でも、という出し方をしている。

iPadはどっちだ、という話も出てくる。 紙かデジタルか、というテーマもあって、メディアの今とこれから、をとりあえずざーっと俯瞰できるようにもなっている。

ラスト、静かにBeckの"Paper Tiger"が流れる。 かっこいい。

あと、どうでもいい話だが、記者の背後に貼ってあるポスターがさあ。
911のベネフィットのConcert for NYのはわかるけど、その横に2002年4月、Bowery BallroomでのWhite Stripes 4 daysが貼ってあるの。ここからWhite Stripesの大進撃が始まったわけであるが、10年前のポスターがなんで? とか。
Media Deskのトップのひとのとこには「市民ケーン」のフランス語版ポスターが。
そのひとが、このポスターのオーソンウェルズは痩せてるんだ、っていうの。


あと、さらにさらにどうでもいい話であるが、日本の新聞業界ってなんなんだろうねー、と改めておもった。
当事者のみなさんにはそんなのわかってるわ、なのかも知れないが、日本の新聞こそ、なくなったってぜんぜんおかしくないし、あれならいんない。

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