8.24.2011

[film] Super (2010)

日曜日の天候はほんとに最低で(ここんとこずっと最低なのだが)、何度か意識を失ったのち、夕方に渋谷に出て見ました。

これまで、結婚式と強盗の居場所をポリスに伝えたことのふたつを人生のベスト・モーメントとして、これを支えにして生きてきた主人公が、妻(Liv Tyler)をやくざ(Kevin Bacon)に取られちゃったことに取り乱して、TVでみた「神」みたいなやつに啓示を受けて、悪をやっつけるべくCrimson Boltとして立ちあがる、と。

全体のノリはほんのりとぼけたB級で、だからくすくす笑って見ていられるのだが、そんなに楽しいものでもない。監督は"Slither" (2006)のひとだから、わざとそういう悪意まぜまぜで作ったのだとおもう。

へなちょこヒーローものということで"Kick-Ass"がよく対比されているようだが、あれとはずいぶんちがう。
あれは古典的な親子の復讐譚に、ナードの成長物語が絡む、という結構クラシックなつくりだった。
今度のは、あまり幸せじゃなかった主人公が思いこみで暴走していろいろ大変な目にあう(周囲も自分も)、という。 トーンとしては、"Taxi Driver" とかのが近い。 

最初は通り魔かと思われていた主人公の行動は、だんだん世間に認められるようになって、最後、ヒーローものの常として決着がついてみんなが幸せになるのだが、その構図はなんとなくグロテスクで、気持ちわるい。心の清いひとはそれを切ない、とかいうのかもしれない。

主人公の私憤、みたいなとこから始まったあれこれは結局プライベートな幸せ、みたいなところに落着してしまう。でも、それじゃなにも変わらないし、この世から悪がなくなるとは思えないし。 悪と正義の戦い、というのは質・量ともにほんとは絶望の、どん底の這いずりと隣り合わせであるべきだとおもうのだが、主人公はへなちょこであるが故に、この辺には目をつむって近所のゴミ箱の陰でほんわか出待ちをしている。 24時間で地球を救おうとするメディアやWeb活動家みたいに小さな幸せの積み重ねこそが世界を救うのだと、信じて疑わない。 

じゃあパブリックな「正義」ってなによ?とかいうと、映画のヒーローとか国連とか軍隊とか、そういうとこに行ってしまうのだろうし、それでも、なにもやらないよりはましなのだ! "Shut Up, Crime!" とか言われたらへえへえ、なのだが、別にこんなの映画で見たくないじゃん、みたいなとこを、わざと出してくる。 このへんのじわーんと陰険なかんじとか。

だから、"Super"で、びっくりマークは付いていないの。 邦題のマーク付きは、明らかに読みちがい。
ついでに言うと、字幕に伏字を入れる意味がわからない。 既にR-15なのに。 ほんと泥の底からばかみたいだ。

どうでもいい話しではあるが、こういう割と半端に小規模な洋画公開のたびに

-公開されるのかされないのかではらはらし、
-受け狙いだけのくだらない邦題にいらつき、
-くそおもしろくもないタイアップだのコラボだのにうなだれ、
-またデジタル上映のみか、とがっかりし、
-字幕のなかみにいちいちうんざりし、
-映画泥棒のCMで吐きけをもよおし、

と、なんでこんなにぎりぎりと虐げられなければいけないのか。
なんで、リリースされた状態に限りなく近いところで見ることを許されないのか、こういうのこそCrimson Boltになんとかしてもらいたい。 じゃあ見なきゃいいじゃん、とか、見れるだけましじゃん、とかいつものように返されることを100も承知のうえで。

Ellen Pageさんはなかなか痛いかんじだった。 彼女もNatalieみたいに彷徨ってしまうのだろうか。
あそこで、ほんとは彼女ではなくて彼が... だったらもうちょっと違ったものになっていたのに、とか。

あと、うさぎさんがなんかやってくれると思ったのにな...


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