11.07.2017

[film] Joan Didion: The Center will not Hold (2017)

10月29日、日曜日の昼、CurzonのBloomsburyで見ました。 ここにはドキュメンタリーだけを流しているシアターがあって、そこで一日一回だけ上映されていた。

現在82歳になるアメリカのジャーナリスト - というだけに留まるひとではないと思うが - Joan Didionの肖像を最新のインタビューを交えつつ描きだす。 監督兼聞き手は彼女の甥のGriffin Dunne - "After Hours" (1985)のひと - 甥だなんて知らなかったわ - で、彼の小さい頃から叔母と甥として接してきたふたりならではの親密さと暖かさに溢れている。

カリフォルニアのサクラメントに生まれて、小さい頃からノートにいろんなことを書くようにしていて、在学中にVogueのエッセイコンテストに優勝して、そのままNYのVogueに入って、最初に雑誌に書いたのが“Self-respect: Its Source, Its Power”。これを27歳で、61年の女性誌に書いて、掲載されたってなんかすごい。 原文は↓で読める。

https://www.vogue.com/article/joan-didion-self-respect-essay-1961

その後、John Gregory Dunneと結婚してVogueをやめて西海岸に移動し、サンフランシスコのヒッピー・カルチャーを、そこの子供達
を取材したノンフィクション - "Slouching Towards Bethlehem" (1968) - 『ベツレヘムに向け、身を屈めて』 で有名になり、いろんな雑誌に寄稿したりフィクション書いたり、映画の脚本 - "The Panic in Needle Park" (1971) とか書いたり、2007年には劇の脚本まで書いて、とにかくアメリカの現代文化史の結節点をまるごとぶちこんだようなとても豊富で多岐に渡るお話が次々に出てくるので映画を見てほしい。 特に60年代のJanis JoplinやJim Morrisonとの話、70年代、マリブの海沿いの邸宅がSteven SpielbergやWarren Beattyといった映画人の溜まり場になっていた、といったあたり、本当におもしろい。

映画は当時のNewsなどを含む記録映像と周辺にいた人々の話、現時点からそれを振り返って(甥に向かって)語る彼女を交互に映し出していくのだが、ひょろひょろの細腕をゆっくり振ったりしながら慎ましく丁寧に話していく彼女から感じられるのはある種の透明さとか優雅さといったもので、それは先のSelf-respectというところにも繋がってくるのだろうな、と思った。
センターを保持しない、一箇所には留まらない。 でもわたしはあるんだから。

後半はややトーンが変わって、養女のQuintana が病に倒れ、その直後に夫が突然他界してしまい、やがてQuintanaも.. という悲劇が連なっていく中、悲嘆(Grief)について書いた"The Year of Magical Thinking" (2005)をリリースし、更にそれを劇作に翻案してブロードウェイで上演し(主演はVanessa Redgrave)、娘のことを書いていなかったから、と"Blue Nights" (2011)をリリースする。

自身の悲しみも、絶望の深さもとてつもないのでは、と思うものの、悲しみというものがそこに確かにあって、それについて書けるのであれば書こう、と。そのとてつもない強さと深さに打たれるのだが、そのへん、彼女の過去から現在までの写真 - 特に彼女の目 - を追って見ていくとなんか感動する。 たったひとりでやってきて、それでもなぜあんなにも家族を希求したのだろうか、とか。

Joan Didionという名のひとりの女性が、というよりも60年代以降のアメリカを生きる女性が、(例えば)”Self-respect"というテーマと共にどう生きてどう世界を見ていったか、を綴るドキュメンタリーにもなっているように思った。 これもまた"20th Century Women"の物語で。

オリジナルのBlade Runnerが出てくるの。 彼女のマリブの家で大工をやっていたって(レプリカントとして?)。

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