11.11.2017

[dance] Balanchine / Teshigawara / Bausch

4日 - 5日の週末にパリに行ってきた。
ものすごい、なにがなんでもの用事とか演し物があったから、というわけではなくて、パリなんて電車で2時間なんだからしょっちゅう行けるのだし、行ったら自在に動けるようにはなっておきたいよね、くらいの軽い動機だったのだが、実際に行くとなるとあれもこれも入れたくなって結果は週末の休みとはとても呼べないいつものじたばたになってしょうもなかった。
結局まだ凱旋門も見てないしエッフェル塔も遠くからしか見てないありさまなのよ。

4日の晩はまたガルニエ宮でオペラ座バレエをやっていたので見る。今回もまたモダンで、そろそろクラシックのほうも見たいのだが、まだ見れるところで見れるのを見ておく、でよいか、と。

演目は3つ。 BalanchineとTeshigawaraとBausch。
この中だと、やはりBauschの「春の祭典」を見たかった。

George Balanchine - ”Agon”

1957年、BalanchineがNew York City Balletに振りつけたピース。 音楽はStravinsky
BalancineのはNYで結構見てきた方だと思っていたのだが、これはたぶん見ていない。彼のアンサンブルものの中では結構アクロバティックで複雑なほうだと思うのだがオペラ座バレエのダンサーは軽々ふんふんこなしているように見せてしまうのがすごい。多少シンクロしていなくてもへっちゃら、に見えてしまうところも - この辺も技術なのだろうか - なんかすごいわ。

Saburo Teshigawara  - “Grand miroir”

音楽はEsa-Pekka Salonenの"Violin Concerto"で、バイオリンは諏訪内晶子のほんもんがピットに入って鬼のように弾きまくる。
ステージ上では青とか緑とか黄色にうっすら塗りたくられた人々がうねりと揺れのなか集合離散を繰り返す。

勅使川原三郎のダンスは90年代頃からちょこちょこBAMで見たりしていて、彼のダンスというのは動きそのものよりも動きに取りつくようにして現れるノイズ(のようなもの)にフォーカスした光とか陰とかに近いものだと思っていて、そういう意味では既視感のあるノイズに見えて(聴こえて)しまったのは残念だったかも。 聴いたことのないノイズを見たかった。バイオリンの鳴りはすさまじかったのだが。


Pina Bausch  - “Le Sacre du printemps”

Stravinskyの『春の祭典』。
休憩時間、ステージ上では大人数でせっせと土を盛っていてとても大変そうで、彼らの退場時にも暖かい拍手が送られた。

これが一番見たかったやつで、なぜってPina BauschがTanztheaterのコンセプトの元で自身の劇団員=ダンサーの顔やキャラまで含めて(情念、狂気、エロス、などなど込みで)磨きあげたクラシックピースを、技術的には申し分ない(ほんとに巧いのよねこいつら)オペラ座バレエ団のメンバーが演じてみたときに何が起こるのか。 バンドサウンドとして申し分なかったオリジナルを一流のスタジオ・ミュージシャン達がカバーしたとき、にオリジナルのアウラとか求心力みたいなのは失われてしまったり変わってしまったりするのか、とか。

結果からいうと、ぜんぜんすごかったので感動した。 - Pinaとバレエ団の両方に。 それはWuppertal土着のどんどこ踊りでもなんでもなくて、ユニバーサルに狂いまくって咲きまくる堂々たる「祭典」になっていた。 それってPinaが情動に情念、エモの嵐を生の身体の動きや絡みに、そのうねりに落とし込んで土泥とか花とか水とか鼻水とか涎にまみれながら差し出してきたきたものがどこまでも普遍的に強く、瑞々しく、でも同時に脆く壊れやすいものかを改めて示してくれた。ここまでくると古典だよね。

いつもPina作品を見るときとおなじように頭のなかまで泥と鼻水にまみれて、見終わってへたへたになるのだったが、今度のはそんなでもなんかとても嬉しかった。
久々にPinaに再会した気がして。


22時に終わってビストロ - L'Assietteてとこ - に車で走りこんで食べてみた。 なんかとんでもなかった。

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