7.21.2017

[film] La mort de Louis XIV (2016)

16日、日曜日の昼、BloomsburyのCurzonでみました。 そばの公園ではひまわりが咲いてた。英国にもひまわりあるんだ。
英語題は、”The Death of Louis XIV (2016)”

Albert Serraの映画は2012年に日仏で2本 - 『騎士の名誉』(2006)と『鳥の歌』(2009)- を見て大好きになって、これのひとつ前の吸血鬼映画- "Story of My Death" (2013) - は楽しみにしていたのにぜんぜん見れないままで、これが最新作。 2016年のジャン・ヴィゴ賞を受賞している。

冒頭、鳥の声が聞こえる屋外で王様の「戻るぞ」ていう一言があって、そこからずっと屋内。
脚を悪くして寝たきりとなったルイ十四世(Jean-Pierre Léaud)の病床での臣下や医師とのやりとりと彼が亡くなるまで。

やりとりといっても病人の老人なのでがらがらごにょごにょ言う程度で、あとは臣下がへへいって、その下とか周囲で協議する程度。
室内の照明はカーテンが降りたままずっと暗めで、彼の身体は分厚い寝巻きと布団、それにぼうぼうに爆発したものすごい髪に覆われてこの世のものとは思えないくらいなのだが、クローズアップの距離感も含めてレンブラントの絵のようで、でもそれのどこが悪いのかわからない。 あの絵のあの光の世界が動いている、それだけでなんかたまんない。ずうっと見いってしまう。

最初は小さく黒ずんでいる程度だった脚の痣が広がって脚一本がまっ黒に壊疽して、というのがよく知られた死因で、それまでに脚を魚の水に浸したりいろんな医者が来ていろいろ怪しげなことを試して、でも進行を止めることはできなくて、あのときに切り落としておけば、と思うようになったのは手遅れになってから。

臣下の側にも医者の側にも、それを傍でみているマントノン侯爵夫人にも、それぞれ言い分はあるのだろうが、その間王様はぜいぜい苦しんでいるし食欲は落ちているのだからもう少しなんとかしてあげれば、なのだが殆どなんもしなくて、しようがなくて、そこに政治的な思惑とかが絡んでいるのかどうか、いろんな深刻な顔のショットが並ぶものの最後までわからなくて、わからないからじりじりするかというと、そんなことはないの。 そして、おもしろいのは - おもしろがっちゃいけないことはわかっていても - これはもうだめですな、て周囲が頷いて坊さんまで呼ばれるのに、そこから更にふん、てかんじで暫く生き続けるところとか。

前に見たAlbert Serraの2本でも、生も死も知ったことか、みたいに不遜でふてぶてしく投げ出された顔と身体の連中がごろんと画面のなかにいて、その即物感がとても素敵だったのだが、今回もそんなふうで、生きようにもじゅうぶん生きれず、死のうにもなかなか死ねない王様のぽつんと放置されてそこにある苦悶をみんなで眺めている風景、そのおかしみも、なんとなくレンブラントの絵ぽい。

そうは言っても、なんだかんだ言っても、この映画はやはりまんなかにいるJean-Pierre Léaudのもので、終わりのほうでモーツァルトの大ミサが鳴るなか、こちらをじっと見つめるその目、その眼差しのすさまじさ。 その目はAntoine Doinelのそれで、でもLouis XIVのそれで、無言でじっと睨んでいて、ここだけで30分続いたってもまったく問題ないくらいに捕らわれてしまう。

死は終わりの始まり、とか、死ぬときは王様でも乞食でも、とか適当なことを言うのではなく、死を描く、というのは例えばこんなふうに、みっともなく動けなくなった人体がまぐろみたいに横たえられて順ずることも抗することもできないまま、おそらくは腐臭をぷんぷん撒き散らしながらだんだんに空気が抜けて動かなくなって、その曲線がゆっくりフラットになる、そういう過程のことで、それが偉大なるルイ十四世の場合はこんなんでした、となる。それでは生は? - "The Life of Louis XIV"はどんなふうになるのか、ここから思いをめぐらすことも十分できるような、そういう存在の厚みというか重さというか。それらをイメージできる、というだけですごいのではないかしら。

最後にいきなりがばっと起きあがる、ていうのを期待したのだが、それはやっぱりなかった。
落語ならありなんだけどなー。

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