7.05.2017

[film] The Big Sick (2017)

こっちから先に書こう。

4日の晩、BFIで見ました。  Q&A(with actor/co-writer Kumail Nanjiani, actor Zoe Kazan and co-writer Emily V Gordon)つきのプレビューで、最初にアナウンスされたゲストはKumailとEmilyだけ、チケットも簡単に取れたのだが後からZoeの参加が決まった途端、あっというまにSold Outした、ということ?

米国ではまだ限定公開中のようだが、製作のJudd ApatowもKumailもZoeもTwitterとかでものすごい熱と勢いで宣伝している。
それだけこの作品に自信があって愛しているということよ。 そして実際に見てみると、この作品には本当に当たって、いろんな人に見てほしい、と心の底から思う。

実話ベースで、作者のふたり - Kumail NnjianiとEmily V. Gordonの間に5年前に起こったこと。
その後ふたりは結婚してこういうトークにも揃って来ているのだからだいじょうぶ、悲しくつらいお話じゃない。ハッピーエンドの映画。

Kumail Nnjiani (Kumail Nnjiani - なんであんただけ本名で出たのさ?てトークで突つかれていた) は、パキスタン移民家族の子で、Uberの運転手をしながらスタンダップ・コメディアンの修行をしていて、そんなある日、ライブを見にきたEmily (Zoe Kazan)とあっというまに恋におちて楽しく過ごすのだが、彼はムスリムのおうちだから家族が結婚相手を手配するしきたりがあって、実家で定期的にお見合いさせられていて、それがばれて大喧嘩になったり、いろいろ大変。 そんなある日、Emilyの具合が悪くなって病院に運ばれ、Adult Onset Still's Disease (AOSD) - 成人発症型スティル病 - のようなので医学的に昏睡状態(medically induced coma)にしていろいろ検査する、と言われて、Emilyの両親 - Holly Hunter & Ray Romanoもやってくるのだが、医者の説明聞いてもちんぷんかんぷんだし、良くなってるのか悪くなっているのかわかんないし。 でも病院に通って付きっきりで看病していくうち、はじめはKumailと目を合わせようとしなかった彼女の両親とも打ち解けていって、やがてEmilyは目覚めるのだが。

よくある難病〜昏睡の悲劇とか、そこからの奇跡の生還と歓喜を謳ったようなやつではぜんぜんないの。 Emilyが起きてからKumailへの第一声は「なんであんたがここにいるのよ?」 だし、そんなに簡単にはいくもんか。
EmilyがComaになってすべてが「とほほ」になってしまったKumailは、どうやって自分の仕事や家族や将来と折り合いをつけていくのか、それは早く同じムスリムの女性との結婚を望んでいる家族やEmilyの家族からはどう見えてしまうのか、そしてなによりもEmilyはどうなっちゃうのか - 彼女の部屋にあったふたりの写真を見ながら、妄想に近いところまで彼の想いは転がって膨らんで乱反射して、それは愛というよりはふたりを巻きこんだばかでかい病気 - The Big Sick - のようになっていく。 それってコメディそのものとしか言いようがない。

くどいけど、愛は万能のお薬で病も人種も越える、みたいなお話ではないの。 彼らに起こったことは彼がパキスタンから来たムスリムで、彼女がアメリカ白人中産階級のおじょうさんじゃなかったら、ありえなかったことだと思うし、でもこんな状態でも愛は身勝手に勃発して、病のように広がって人々の顰蹙かったりうわ言を言わせたりして、じゃあどうするかというと、なんかおもしろいからrom-comにしちゃえ! ていうのがこれよ。

ロマンチック・コメディとは何か、みたいな話はしたくないけど、自分にとってのそれは、単に恋とか願いが叶ってよかったねえ、ではなくて、ラストの至福に向けてどれだけのこんがらがったやり取りや事件が起こるのか、その背景にどこまで紛糾した「世界」をぶっこむことができるのか、これがあるかないか、が大きい。 Judd Apatow製のコメディがなんでどれもあんなにすばらしいのかというと、どんなテーマや題材であっても、そこにぐしゃぐしゃ面倒でしょうもない「世界」がまるごとある - あろうとしているからなの。 そして、我々が常にJohn Hughesの世界に立ち返っていくのもおなじ理由による - そこには憧れも絶望も含めて世界が、ぜんぶが、あるから。

練りあげられたダイアログもさることながら、もうひとつ特筆すべきは、俳優陣のアンサンブルの細やかさと間合いの的確さ。
KumailとZoeの間で起こるケミストリーも、Kumailの家族も、Emilyの家族も、楽屋裏のコメディアンたちも、全員思いっきりハグしたくなる。 Holly HunterもRay Romanoも、泣きたくなるくらいよくてさあ。

映画終わった途端に当然の大拍手で、それに続くQ&Aも爆笑の連続だった。Kumail Nnjiani、あんたおもしろすぎ。なんでHugh Grantが来てないんだ? から始まって。
最初は5年前の出来事をいろんなひとに話していたら、それおもしろいから映画にしよう、とJudd Apatowが言いだして、彼のハードな監修のもと、脚本は相当に推敲とかバージョンを重ねて、でも事実をあまり変えるわけにもいかないし、その辺が難しくて大変だった、と。

他にはアメリカで暮らすアジア人にフォーカスしたこととかマイノリティの話もでて、そうするとZoeさんが目の色変えて発言したり(えらいよねえこの娘)。

最後はロボットとかスーパーヒーローとか怪獣とかスパイとか、そんなのばかりの最近のアメリカ映画のなかでこんなふうに会話ばかりのrom-comはどうなっていくのか、ていう話題で、AmazonやNetflixの登場にも触れつつ、やるわよ、 てZoeは力強く言った。

見終わったあとに「いいね」をポチして終わるんじゃなくて、ふたりでカフェにでも行っていろんなことを話してほしい、そういう映画でもあるの。ものすごく沢山のことを話して止まらなくなる映画、止まらなくなったら、それは、その相手のひとは、あなたにとってのBig Sickなのかも。

だれもが期待した、 かもしれない"Girlfriend in a coma"は流れないから。

Zoeの赤いヒール、かっこいいーと思ったらLouboutinだったのね。

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