7.13.2015

[log] July 10 2015

10日の金曜日、天気は晴れていたが朝から目眩と頭痛が半端じゃなかったので会社やすんだ。

で、(というわけで、ではないが)夕方に国会前に行った。
SEALDsのデモ、でもあるが、これはなによりも自分ひとりの抵抗、として拳をあげてみる。

わたしはパンクだから未来なんてもともとないと思っている。子供を守らねば、とも思わない。
そもそも日本という国はだいっきらいなので、なくなっちゃえ、くらいのことまで思う。
そりゃ憲法は大事だけど、そんなことより戦争も軍隊も暴力もぜったい反対だしいらない。
立憲主義も民主主義もよくわかんねえけど、とにかくなによりも我慢ならねえのは連中の薄笑いと権威と人数を楯にして、物事を進めようとするそのやり口の気持ちわるさなんだ。  

連中が思い描いているにっぽん国のあり姿なんてほんとうはどうでもいい - いや、どうでもよくないけど、それは人によって、いろんな世代、いろんな国のひとによってぜんぶぜんぜん違う - 当たり前だけど。 その当たり前のことを聞く耳持たず解ろうとせず、かと言って自分たちの描く像を周りのひとにきちんと説明できもしないくせに(わかんないもん、連中の言ってること)、自分たちのサークル内でせかせか合意だけとって、あとはそこに向けてやっちゃえ、ていうやり口がひどすぎるし汚すぎる。

別の言い方をしよう。 たぶん、向こうはこっちをバカだと思っているし、こっちは向こうをバカだと思っている、そこに和解はないのかもしれない、それはいいとしよう、でもだーかーらー決めちまえ決めていいんだ、に飛躍するのはありえないしわけがわからない。 しかもコトは憲法だよ。
みんなが怒りまくっているのはそこだ。 更にそこを理解できない、そこに想像力を働かせることができないような連中が政治家や報道をやっていやがる、というのが更に怒りと絶望を加速する。 なんなんだこの国。 

これだけじゃない、原発も沖縄も国立競技場もヘイトスピーチも格差もぜんぶ同様の不透明な気色悪いやり口満載のまま放置しっぱなしで、それを与党だからいいんだ問題ないんだ、みたいな理屈でドライブしているようにしか見えなくて、そしてメディアはへらへらぜんぜん頼りにならない(ねえねえ、正義ってしってる?)のだから、自分で声をあげてノイズを起こすしかない。

デモはそういうことを言うための手段で、そういうのを言いたいひとが参加して言う場所なんだ。
ていうのを2011年、Occupy Wall streetとかLincoln Centerとかで老人たちがいっぱい叫んでいるのを見て知った。そのなかにはPhilip Glassみたいな寡黙なひとまでいたの。

今度のデモでSEALDsの子たちは偉いとおもうけど、彼らが偉いのは上のようなあったりまえのことを自分たちの頭で考えて自分たちの声にして喚いていることだ。 行って聞いてみるといいよ。

もうねえ、日本にロックなんてないんだなあ、と改めて思ったよ。
いまライブをやるべきなのは国会前の路上だろう、苗場で「ロック」フェスなんてこの状況下でよく言ってられるよな、ロックなんてやめちまえ腰抜け腑抜け。 ておもうわ。

だから国会前にいくの。 本当に止めるからな。

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