3.12.2015

[film] La chute de la maison Usher (1928)

7日の午後、日仏のJean Epstein特集の"Mauprat"のあとに続けて見て、それから8日の午後いちに再見した。 
『アッシャー家の末裔』

7日に見たのはフィルムセンター所蔵、オリジナルネガから焼いたのをアベル・ガンス経由で入手した由緒正しい小宮登美次郎コレクションの35mmプリント(サイレントで音楽なし)、8日に見たのはCinémathèque française所有のオリジナルネガから世界各地のフィルムアーカイヴ所蔵版を参照して1997年にリストアされたものを2013年にデジタル変換したもの(その際に音楽も新たに付けられた)で、本邦初公開となるバージョン。

35mm vs DCPというこれまで散々議論されてきたやつを比較対照する絶好の機会でもあったの。

原作はE.A.ポーの超有名なやつだから書くまでもないけど、いろいろ違うの。
原作の兄妹は夫婦になっているし、ラストもずいぶんちがう。(ので助監督のLuis Buñuelはあきれて降りちゃったとか) 
客人がアッシャー家当主Roderickからの手紙を手にその館に辿り着いてみると、Roderickは明らかにおかしくなってて、弱りきった妻Madeleineの肖像画作成に没頭してて、絵が仕上がっていくにつれてMadeleineはどんどん衰弱していって、やがて息絶えてしまう。 納棺の日、Roderickは棺に釘を打ってはならぬ、というのだが召使たちは言うこと聞かなくて、やがて大嵐の日がやってきてすべての扉が開け放たれ、外に目を向けると閉じたはずのお棺の蓋からひらひらがー。

"Mauprat"のときにもかっこいいー、て痺れていたクローズアップやスローモーションが見事な構図のなか、いちいち決まりすぎててすごい。 特に彼岸にいっちゃいそうな/いっちゃっているSir Roderick Usherのギターを弾く姿、絵筆を持つ姿、その虚ろなんだか囚われているんだか判らない目 - 定まることのない目のおっかないこと。

生身の身体から絵画への転写とか、生の世界と死の世界の転換とか、これらが折り重なって倒壊していく世界の妖艶さ。 ゴス、と一言ではいえない力強さがあるの。

廃墟のような館を訪ねる系のホラーとか、"The Shining"にAdams Family, Harry Potterまで、そういう映画 - 闇の向こうに、紙一重で繋がって拡がっているからっぽな世界を描いたやつ - の元祖でもあるな、て思った。

上映メディアについては、「個人の好み」と言っちゃえばよいのかもしれないけど、でもやっぱし35mmフィルムの圧勝だったとおもう。 35mmのほう、冒頭の湿地を抜けていくところの青、というか藍の刺すような深みとか風で煽られる布きれの質感に対して、DCPのほうは隅々まで宙を舞う微細な粒子まで見えるくらい細かく鮮やかなのだが、画面のコントラストは意固地なまでに均質でぺたんこ、みたいな。 これ、音楽のアナログ盤とCDに感じる印象そのままなのだった。 確かに今後の映画配給とか普及にDCPが不可避なのはわかるけど、ああいう35mmを見ちゃうとねえ。

DCP版の音楽、きちんと考証を重ねて、ドビュッシーのオペラ(同名の未完作がある)を題材にして作られたそれは見事だとは思ったものの、もうちょっとダークで錆ついてぎしぎししたのでもよかったかも。
Gary Lucasさんがギターでやっているような音とか。

あと、すばらしかったのが両日の前説で出てきたCinémathèque françaiseのEmilie Cauquyさんで、シネフィル化したRebel Wilsonみたいで、おかっぱで、体はずっとバウンスしてるし、前歯欠けてるし、おもしろい動物みたいだった(話を聞いてやれ話を)。 彼女が解説するんだったら何回でも通ったっていいわ。

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