5.25.2013

[film] 噂の女 (1954)

18日、『君と歩く世界』のあと、シネマヴェーラの『溝口健二ふたたび』で見ました。
開始1分で、あ、これみたことある、と気づいたけど構うもんか。

古くからある芸者の置屋の女将が田中絹代で、娘の久我美子が男絡みで自殺を図って失敗して実家に戻ってくる。
娘は実家が置屋であることを恥じている(要は売春の元締めだし)のだが、母は自分ちの看板に誇りを持っていて聞く耳をもたず、愛人で医者の若い男(大谷友右衛門)を開業させて一緒になることを夢見ていて、でも娘の具合を彼に見させているうちに、医者はだんだん娘のほうに傾いていって、やがて修羅場が。

母は娘に幸せになって貰いたいけど、そうするには置屋を廃業するしかない。
娘は太夫達みんなに幸せになって貰いたいけど、置屋を廃業したらそれは適わない。
更に置屋の太夫の皆さんは皆家庭の事情で働かざるを得なくて、病気になっても医者にすら行けない。
などなど、それぞれにややこしい利害とか事情の対立があってはぁ、てなったところで母と娘が恋敵であることがわかって、さらに面倒な波がやってくる。

単なる世代間のギャップ、とか時代の変わり目、とかそういうことでいいのか。
モダンな洋装、ショートカットの久我美子と和装の母親と太夫さん達、その周りの男共、古い置屋の作りと洋風のインテリアとか、それなりに調和しているように見えるのに。 なにがいけないのかしら?

田中絹代の首がゆらゆら揺れるところが好きなのだが、この作品ではいつもより多めにゆらゆらしててなかなか素敵なの。

あとは親子二股かける医者のやろうが憎らしくてさあ。
「みんなが都合よくなるんだし何がわるいんですか?」と自信たっぷりに居直るその様に名前を書くのすらおぞましい某市長を思いだしてむかついて、太夫さんが最後にしみじみいう嘆きをそいつの横っ面に叩きつけてやりたくなるのだが、映画に失礼なのでやめる。

というわけで、テーマ的にはぜんぜん古くなくてほんとにいろんなことを考えさせる。
今日も祇園モノ2本(36年と53年)見たけど、何回見てもすごいんだよ。

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