5.18.2013

[film] 素浪人罷通る (1947)

5/4に神保町で時代劇3本(トーキー1、サイレント2)続けてみました。
こういう機会でもないとちゃんと見れないしー。 以下見た順で。

素浪人罷通る (1947)

吉宗公の御落胤だという天一坊がパパに会うんだ、と江戸にのぼっていくと行列の規模がでかっいお祭りになっていって、そんなことしても殺されちゃうだけじゃ、と寺子屋の素浪人(阪妻)は止めるのだが、若君は金も名誉もいらないただひと目父の顔を見たいだけなのになんでいけないの? てつぶらな瞳で言うのでそれにやられちゃった坂妻は、じゃあ一緒に江戸まで付いていく、と妻と今生の別れをして、現地入りしてから大岡越前とかとも根回ししてうまくいくかと思ったら最後の最後に意地悪い官僚みたいな奴にならぬならぬ、召し捕りひったていー、て大捜査線が張られて、それでは、とPlan Bで将軍が鷹狩りにいく隙のランデヴーを仕掛ける。

戦時下で映画のなかの斬りあい立回り禁止令が出ているなか、よくもここまで熱くたぎるお話が作れたものだねえ、とおもった。
基本、目力と目くばせですべての物語が進んでいって、最後の馬上の父と息子の目がたりと、その万事OKを伝える大岡越前と浪人(お縄直前)の目くばせでわれわれは勝利を確信する。 この先どんな苦難が待っていようと、それは勝利なの。


御誂次郎吉格子 (1931)

プリントの最初にでるタイトルは『鼠小僧速花あらし』。 伊藤大輔33歳のときの作品。
追っ手を逃れて大阪に流れてきた鼠小僧次郎吉の逃げて隠れて逃げて、でも… のおはなし。
最初のところの船の中と外の大捕り物のスピードがすごい。猿の顔がちょこちょこ挟まっていてパニック感がはんぱない。

次郎吉をずっとじっと想って慕っているおせん(伏見直江)の艶っぽさにやられて、でもいろんな強欲とか企みの網に巻かれて、やがて追ってくる御用提灯の波とそれを見ている月と。 シャープで冷たくて、さくさくした画面運び故に物語の非情と悲しさが際立つの。


忠治旅日記 (1927)

伊藤大輔29歳のときの作品。 これが29歳の作品だよ。

前の次郎吉もそうだったが、定住できない凶状持ちとの適わぬ恋、どこに行っても厄介ごとは必ずついてきて、そこに追い討ちをかけるように大量の捕り手が迫ってきて、逃げ場はなくて、それでも主人公は愛と名誉に生きようとする、というあたりが基本のパターンとしてあって、このへんが「時代劇の古典」たる由縁なのかしら。

とにかく主演の大河内傳次郎の演技がすごいったら。 芝居がかった、とか小ざかしいコメントをぜんぶなぎ倒してひたすら圧倒的。芝居をやってるひとのほんとにすごい芝居はこんななんだから。 彼の声と唄が響いてくるんだから。 ここまで顔をゆがめてはじめて忠治のでっかさとそれ故の悲愴が活きるんだから。

ばかでかい桶の間で遊ぶ子供たちとか、忠治を想う娘とのやりとりでしんみりして、追っ手に包囲されたラスト、子分達の懸命の防御とじたばた、体の自由が利かない無念の忠治の顔、見るとこがあまりにてんこもりなので、フィルム全体が残っていなくてもぜんぜん気にならない。

1曲1曲の粒が揃ったアルバムみたいなかんじ。完全盤がでる前の"Smile"、それでも十分すばらしいんだから、ていう。

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