11.30.2012

[film] 千羽鶴 (1969)

連休の最初の金曜日、なんとなくシネマヴェーラでみました。特集「昭和文豪愛欲大決戦 2」の最後の。

原作は川端康成で、読んだことくらいあったはずだ、と本棚の奥から引っぱりだしてみる。 (こんな話だったっけ ...)
オープニングタイトルで、「ノーベル賞受賞記念」とでる。

鎌倉の茶人の息子で会社員をしている菊治(平幹二朗)のまわりのぐしゃぐしゃした愛憎模様。
父親(船越英二)の愛人Aだったのが栗本(京マチ子)で、それに続く愛人Bが太田夫人(若尾文子)で、京マチ子は、母親気分でどっかの御嬢さんと菊治を結婚させようとするのだが、彼のほうは、茶会で出会った若尾文子と突然嵐のような愛になだれこんでしまい、京マチ子はそれが気にくわなくて、裏でねちねちいじわるして、そうしたらもともと病弱だった若尾文子は自ら命を絶ってしまって、こんどはその向こうに新たな希望としてその娘の文子(梓英子)が突然現れるの。

で、こっちも最初は「いけませんわ」モードだったのだが、お茶室でなんとなく寝てしまい、こんなことでいいのか、と悩むのだが、そうすることで彼は父親の、彼女は母親の呪縛から自由になって、これこそが本当の愛なのかも、というのを知るのだった、と、こんな話でよかったのかしら...

京マチ子 vs. 若尾文子というと『赤線地帯』(1956) から続く因縁のゴジラ vs. キングギドラみたいなもんだと思うのだが、ここでの若尾文子はとてつもなくすごい。 病気のせいだか薬のせいだかわからんが、ずっと熱にうなされたような潤んだ瞳と息遣いでしなしなと息子のとこに寄ってきて、横でずっとふんふん言ってるもんだから、菊治はたまらず押し倒してしまう。(あれじゃ、我慢しろってのが無理だ)
娘からすればお母さんなにやってんのいいかげんにして、なのだが、いいのあたしは恋に死ぬんだからみたいな状態できんきんにのぼせているからお手上げなの。 

おせっかいばばあの京マチ子もいじわる小姑芸で撃退しようとするが、うるさいなあ、にしかならない。 胸元のでっかい黒痣(鋏でじょりじょりするとこがこわい)が武器なのだが気持ち悪がられるばかりで、でもどんなに疎まれてもおうちにあがりこんでくる根性がすさまじい。

でもいちばんわかんないのは娘の文子で、だって父子二代に渡って母親を取られちゃって、しかも後のほうは命まで奪ったかもしれなくて、さらにはうるさい京マチ子にまで付きまとわれて、こんなの呪われてるとしか思えないのに、それなのにお茶室で寝ちゃうんだよ。 お茶室って、そういうことしていい場所なの? 

なにがなんでもこの人、この恋、というのではなくて、恋愛はお茶碗であって、和と茶のこころでもって古いものを愛で、新しいものを愛しむ、割れちゃったらしょうがないのじゃよ、って言っているのかしら。 鶴だって千羽も飛んでくるんだよ、って。

最後、どこかに姿を隠してしまった文子に対して、もうこんなのに捕まるんじゃないよ、地の果てまで逃げるんだよ、と力強く思ってしまうのだった。

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