9.13.2011

[music] Joe Lally - Sept.11

この週末もぜんぜんだめで、土曜日は気がついたら夕方だった。

宿題みたいに見たい映画が残っているのだが、宿題はきらいだし、午後4時を過ぎるとこのへんのテンションが一挙に落ちてどうでもよくなってしまう。

で、土曜日はほとんどなにもせず、日曜日だけ、遅くにごそごそ動き出して当日券でみました。
本当はおうちでしんみりお祈りでも、という案もあったのだが、いや、いまはそうすべきときではない、と勝手に思いこんで強引につっこむ。

まずは、10年目のその日、あれが起こった時間帯に異国でのロングセットのライブを組んでくれたJoe Lally氏に敬意を表したい。 いろいろ言いたいこともあったろうに、311への言及はあっても、911のことは何も語らなかった。 でも、それでもじゅうぶんに伝わったよ。 (特に最後のとこで)

ライブは、Liteの途中から。 
むかーし新宿で行われたMike Wattさんのイベント以来だったが、この人たちも数段でっかくなっていた。
ポストロック的なダイナミズムの探究、というよりは、ガレージ寄りのシンプルな錐揉み/巻き込みの運動のなかに、ほんのちょっとの陶酔と狂熱をまぜこんで、行けるところまで行ってみよう、というか。
ダニエル・ラノアあたりにプロデュースさせてみたい。 ぜったいおもしろくなるよ。

Joe Lally組は、前回来日時(2年前?もう?)と同じラインナップ。
ギターの女の子も含めて、全員坊主頭で、研ぎ澄まされた兵士の顔をしている。
この3人がメインで映画とか作れそうだ。 設定は丸腰で前線に投げだされてしまった小隊、これしかない。

さて、このバンドの音をどう形容したらよいものか。
ハードコア起源のなにか、ではあるのだが、一般的なイメージにあるハードコアとは結構ちがう(よね?)し、パンク、といっても最近認知されているようなGreenDay以降のお子様向けの、ああいうのともちがうし。

ドラムスは地面に向かってひっぱたき、ギターが刻んで、ベースはうねる。
こういう通り一遍の形容を常に裏切るかのようにあらゆるヴァリエーションを示しつつ、しかしどこまでも淡々と平熱状態で演奏は進み、しかし醒めている、というのともちょっとちがう。 
客ひとりひとりの目を見て語りかけ、歌いかけながらも、じりじりとアグレッシブに跳ねあがっていく。 どこまでもモノトーンで、カラーにはならない。

あるいは、Fugaziの音を凡百のパンクバンドから隔てている固くごつごつしていながらものたくる、鋼鉄のうなぎみたいなベースの音、そいつにびっちりと絡みつくドラムス、それらをひっぺがそうとするレーザーメスのようなギター。 
結合と離反分裂を繰り返す3ピース、3分間の音のドラマ、とか。

PJとかFFとかRHCPとか、所謂大文字のロックが見せてくれるハイウェイからの眺めとはまったく異なる、周囲数キロを走るための車と、そのためのガレージ。 組み立てるのではなく、整備するためのガレージ。
ほんとに生活に必要なのはこっちなの。 消耗するばかりだとしても、生活は生活で、続いていく。

そんなふうに本篇約1時間、やや長めのアンコールが終わって、もうないかもと思ったら、もう一回あった。
楽器も持たずにひとり静かにフロアに降りてきて、みんなに囲まれた状態で、"Sons and Daughters"をうたう。 へたくそだけどね、と少し照れながらも、語りかけるように。
その有名な一節はこんなふうなの。

“The word is not the thing, we say war when we really mean rape and murder”

このひとは中国に行ってもイラクに行っても、戦地のまんなかにいたとしても、同じことを言うし、やるんだとおもう。   ねえねえ、パンクっていうのはこういうのを言うんだよ。

世界にはまだこういう人がいて、こういう音がある、それを確認しておくためにもこのライブには足を運んだほうがいい。 そして、なんどでも言うが、これを10年目の911に接することができたのはほんとうによかったと思ったの。

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