7.20.2011

[log] July 15

時間がないー。

とにかく暑くてやってらんない仕事行きたくないー と思っていたところに、15日まででいろんなのが終ってしまうことがわかったので、げーとか言いながら病気になって休むことにした金曜日。 

とりあえずユーロスペースにいって、最終日のGlauber Rocha作品から2本。

『狂乱の大地』(1967) "Terra em Transe"

南米の奥地にある架空の国エルドラドの政争を題材に、国益と民の救済、政治と詩、そしてさまざまな理想と映像を巡って提示される逡巡、自己問答。 
ふたつの立場、ふたつの施策の間で引き裂かれ、それでも突っ走ろうとして最後に崩れ落ちる主人公を真正面から堂々ととらえる。
ローシャ自身のマニフェスト、というか墓銘碑のようなと思えて、であるが故に画面はどこまでも堂々として揺るがず、どのショットもおっそろしく瑞々しく、しかもかっこいい。 なんだよこれ、かっこつけすぎじゃないか、というくらい。


『黒い神と白い悪魔』(完全版)(1964) "Deus e o Diabo na Terra do Sol"

つい逆上して領主を殺してしまった貧しい農夫が、放浪する救世主(黒い神)の元に流れていって、その黒い神を狙う賞金稼ぎとかもいて、血で血を洗う抗争に巻き込まれていくのだが、その顛末とか行く末の悲惨さとかしょうもなさを描く、というよりも結局どっちに行く? どうする? ということを絶えず胸元に突きつけられ、問われるような、そういう切迫感がずうっと続いていくので、こわいったらこわい。決して傍観者であることを許さない映像の濃さと強さ。

とにかく出てくる全員の顔がすごくて、特に黒い神のあとに出てくる白い山賊コリスコとアントニオ・ダス・モルテスの迫力が尋常ではない。 やっぱし山賊とか海賊って、ああいう顔と風体だよねえ。あのぶあつい、弾とか刃とかを通さないような身体と、その地面にすっと立つ、姿。 ジョニデのなんか、ただのコスプレだよねえ、とこれ見るとおもう。

『アントニオ・ダス・モルテス』は、こんどまたきっと。

その後で、恵比寿の東京都写真美術館に行って、これも終りそうだった『プラハ 1968』を見る。
これまでも部分部分はいろんなところで見てきたが、纏まってみたのは始めてで、そうして見るとやはり圧巻だった。あの、写っているひとりひとりの目の強さときたら。
ローシャの60年代の2本の後で見ると、はっきりと、この時期の辺境と呼ばれた地域の地盤の硬さ、そしてそこに踏んばって、穴をあけてでも断固踏み留まろうとする人々の姿と共に、世界はあったのだなあとおもった。

そのあと、7:00からイメージフォーラムで、最終日の『ラルジャン』(1983)を。
これ、公開時に見て、これがブレッソンの最初で、ものすごいものを見てしまった気がして、それは未だにずっと続いている。LDも持ってる。

なんの説明もないのに、なんの修羅場もないままに、複数の家族、複数の人々、がぱたぱたと交錯していって、最後にああいうことになる、そこにもなんの説明もないし、わかることを強要しない、神はいない、すべては画面の上で起こっているのに、沢山出てくるドアのどこか・どれかとこちらの世界は繋がっているようにおもえる。こんなにこわい映画はないの。

あと音がねえ、鳴るだけでいちいちびくびくする。そういう鳴りかたで鳴るの。

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