4.28.2022

[film] Le Pont du Nord (1981)

4月17日、日曜日の夕方、ヒューマントラスト渋谷のJacques Rivette特集で見ました。
邦題は『北の橋』。 英語題は”The North Bridge”。

これ、ずいぶん昔に見た気がするのだがきちんと思い出せない。今回の特集、ここまでで見たのは”Duelle (une quarantaine)” (1976)と “Noroît” (1976)。 この2本と” Céline et Julie vont en bateau” (1974)はロックダウン期間中のロンドンのストリーミングで見ていて、でもやっぱりどこで何回見てもおもしろいったら。ストーリーの勘所とかこれぞ、っていう見どころがあるわけでもないのに、なんなのかっていつも。

現代のパリの街を革ジャンでふらついているBaptiste (Pascale Ogier)がいて、バイクで街を回りながらそこらじゅうのライオン像にガンを飛ばして、そこに勇ましくピアソラのタンゴが被さってくるだけでなんか盛りあがる。ライオン像といえばBaptisteってAgnès Vardaの”Vagabond” (1985) -『冬の旅』のSandrine Bonnaireをトッぽくしたかんじの野良の目つきと挙動で、トラックの荷台に積まれた荷物のように降りてきたMarie (Bulle Ogier)とぶつかって、ふたりはその日のうちに3回くらい別の場所で鉢合わせするものだから - 暇なだけだと思うけど - これはなんかあるよね、って一緒に行動するようになる。Marieは強盗をやって刑務所から出てきたばかりで、そこで閉所恐怖症になっておとなしそうなのだが挙動不審でなにしでかすかわからない怖さがありそう。Baptisteは元気いっぱい、屋根なしのところで起きても空手の型をぱきぱきクリスピーにきめて、これに対してMarieはなにごとも猫のようにスローで押されないと動こうとしない。「ドン・キホーテ」なんかあてはめなくたって、このふたりを見ているだけで十分におもしろい。

そんなMarieたちに変につきまとってくる -ようにBaptisteには見える - 彼女の恋人 - 獄中にいるときも頻繁に訪ねてきてくれたという - が抱えていたカバンをすってその中身を広げてみると、蜘蛛の巣のように手書きで区分けされて番号が振られたパリの地図とやはり番号が付いた新聞の切り抜き(いろんな犯罪)などが出てきてすごろくなのか数合わせなのか、なにがどうなったらなにが起こるのか or 起こったのか、その理由は?

これって謎解きなのかゲームに乗ってこいってことなのか、どこかで進行中の陰謀なのか、そこに彼女たち(or Marieが)は巻きこまれようとしているのか狙われているのか - 狙われているんだとしたら上等じゃねーかよお、とか、とにかく暇だし世界はふたりに何かをされたがっているとしか思えない。実際にふたりが歩いていくパリは建設現場や穴だらけのぼこぼこで何かが壊されようとしているのか、新たな何かが立ちあがろうとしているのか。

でもそうやって歩いていくとBaptisteは滑り台から現れたドラゴンと戦わねばならなかったり、蜘蛛の巣を吹きつけられたり、空き地でリアルに男が死んでいたり、やばいのかどうなっちゃうのか固唾をのんで見ていると..

誰かがなにかを企んでいる – その企みは地理と歴史に関わることとして太古の昔からずっとある – それはたぶん我々の日々の生活や動きの現在や今後にも深く関わっている – それに気がついている人とそうでない人がいる – それらを表層に引っ張り出そうとする(主に)女性たちの冒険を日々の恋愛や結婚に近いところで捕まえようとしたのがRohmerであり建物とか地下とか島とかで捕まえようとしたのがRivetteなのかしら。とてもおおざっぱにいうと。だから彼女たちの行動は屋外での冒険だったり活劇だったり、キュートで目が離せなくて見るべし! になるの。

で、これが終わりのない通りや延々たどり着かない橋へと向かい、土地の暗号を端から解いていって”Out 1: Noli me tangere” (1971)並みの長さになったであろう可能性はじゅうぶんに感じられて、でも実際にはやや唐突に2時間くらいで切られて - 北の橋は落とされてしまうのだった。

それにしてもPascale Ogier −『満月の夜』(1984)のLouise役以上に岡崎京子の漫画の主人公していて、81年あたりだと、彼女がまだ『ポンプ』とかに描いたりしていた頃だよね、とか思い出したり。

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