8.10.2015

[art] 河鍋暁斎

1日の土曜日の昼前、丸の内で見ました。
2日以降で展示替えがあるということで、念のため、くらいで。

『画鬼・暁斎—KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル』

日本画に詳しいわけでも暁斎が大好き、というわけでもないので偉そうなことを言いたくはないのだが、「画鬼」とか「KYOSAI」とか「スター絵師」とか、どピンクのポスターとか、そういう形容や装飾が仮に考証面でみて正しいのだとしても、品がなくてバカみたいだし、なんか恥ずかしい、と思った。

コンドルを前座に置いた暁斎の展示。建築家コンドルが120年前に設計した建物、未だに現役で立派に美術館として使われている建築遺産のなかで彼の絵画の師匠の展覧会をする。 最近のトレンドであるらしい日本/日本人えらい、日本に心酔する外国人だいすき、に全然ノレないものとしては、なんかなー、て思う。べつに「スター」も「弟子」もいらないじゃん。リスペクトしようよ。

暁斎の過去の展示を見たことないので今回のが彼の絵画世界のどの辺をどれくらい十分に/不十分にカバーしているのかわからないのだが、絵はうまいねえ。こういうのって、うまいねえしか言えないのだが。
あくまで印象でしかないが、人物 - 特に男子とか仏神様系のはなんかちゃいちゃい、って適当に描いているような(べつにちゃんと描いてるからいいだろ、な)気がして、逆に女性とか動物とか化け物とかの描き方や構図の集中度合いが違って見える。若冲も割とそういうかんじがして、自身とは異なる形象・色彩への執着だけはなんか異常で。

特にメトロポリタン美術館蔵の動物たち(あんなの展示されてたことあった?)のすばらしいこと。
「うずくまる猿図」「蛙を捕まえる猫図」「蜥蜴と兎図」「栗と栗鼠図」「ぶらさがる猿図」、などなど。
「絵」というよりは「図」。なにかがなにかの象徴や典型や転移として表される「絵」というより、なにかがなにかをしている、なにかとなにかが一緒にある「図」として示されるような世界のありよう - それはそのまま世界と対置可能な様態・形象として、図鑑や図録のようにしてそこにある。

あと、彼の春画のなんともいえないおかしさ - ああいうのを化け物とか妖怪のような変てこななにかとして、「画鬼」というより子供のように描いてみる。その愉しみと笑いと。
でも展示中一番長い列を作っているのが春画のコーナーであるって…

後期はいくかどうか、まだ悩んでる。 あの犬みたいにでっかい猫を見にいくかー。

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