1.14.2012

[music] 芸害 vs もう死んだ人たち

今年のライブ初め。 Tintinを見た後、渋谷でみました。

最初に、石橋英子 with もう死んだ人たち。
最初にバンド紹介で、ドラムスがJohn Bonhamさんをクビにして、マリス・ミゼルのKamiさん、ベースがJaco PastoriusさんをクビにしてNoel Reddingさん、ギターがDerek Baileyさんをクビにして、PattoのOllie Halsallさん、ヴァイオリンが、ストラディバリさんをクビにして、パガニーニさん、になったというお知らせがあった。 どっちにしたって、もう死んだ人たち、と。

ピアノの石橋さんだけはどうやら生きていて、でもあとのメンバーはもう死んでいるのに、音だけは響いてくる。 でも死人の出す音なので、肉とか骨はない。肉とか骨を欠いた音の群れが唯一生きているピアノの音と彼女の歌にまとわりついて、そのまま透明な死の世界に連れ去ろうとする、あるいは半端な、変なバランスのまま螺旋を描いてそこらに漂って消える。

ピアノが左端、死んだ人たちは右側に座ってぐるり、舞台の真ん中があいてる。
その空いた場所に、その変な音たちは降りてきて、勝手に踊っているように見えたのだった。

続いてJim O'Rourke with 芸害。
バンドメンバーはもう死んだ人たちと同じなのだが、休憩したら死の世界から蘇ったらしく、かつてOllie Halsallさんだったひとは、Jim O'Rourkeさんになっていた。 ゾンビなのかも。

Jim O'Rourkeさんのライブ芸は、これまでいろんなところでいろんな形態のをさんざん見てきているのだが、やっぱりギターが一番好きで、さらにはデュオとかインプロヴィゼーションのよりは、バンドのが断然すばらしいの。

Nels Clineが入る前のWilcoのライブとか、あのすばらしかったLoose Fur、とかね。

そして、ヴォーカル芸も実はすばらしいのである。 音源だとBacharachのカバーが有名だし、最近は演歌方面にも弛まぬ精進を続けていることが判明したが、2004年、Wilcoの大晦日ライブ、Madison Square Gardenの大舞台でパジャマいっちょうで絶唱していた彼の姿をわたしは忘れることができないのである。

なので、このバンドセットのライブはすばらしいものになることは最初からわかっていたの。
音は、割とオーソドックスな、アメリカのギター+トラッドのトーンで、でもレイドバックしつつ上に上がっていくわけでも、ブルージーに落ちていくわけでもない。 巨大なJohn Faheyの傘と枝のはじっこにひっかかって。

ギターはアコースティックとエレクトリック(SG…もどき?)の2台をとっかえひっかえ。
両方の音の違いは、笑っちゃうほどなくて、単音は輪郭をくっきり、カッティングはどこまでも捩じこんで揉みこんで踏んずける。
3番目にやった「だれもしらないねこんなの」ていってた曲の圧力がとんでもなかった。

アンコールは"Eureka"の"Prelude To 110 Or 220/Woman Of The World"をえんえんぐいぐい。

こんだけすごいバンド芸をもっていながら、芸害だからって、死んだひとたちだからって、あんまやってくれないのはほんとにもったいないことだ。

それにしても、その、腐りかけたRobert Wyattみたいな今の風貌、もうちょっとなんとかしたほうがよくないか。

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