4.16.2011

[log] Apr.02

ヒノキの粉は、きついったら。

もうむかしむかし、2週間前の2日のおはなし。

地震の揺れで崩れおちた箱のなかとかはじとかから、昔のCDとかが溢れてきたので、そういうのをPCに落としはじめたら止まんなくなって、なんとなく退行モードにはまって、おちている。それにお片づけをいくらやっても余震で端からがらがら崩れていくので、もうどうしようもない。 
The Bluebellsとか、Blue Orchidsとか、Blue Aeroplanesとか、Ian McNabbとか、Friends Againとか、Suddenly, Tammy!とか、そんなのばかり聴いてる。

で、見たい映画もあんまないし、東のはじっこに行ってみたのだった。
このたびの地震では一応被災地になっているようで、発生直後は岸壁にぶあーんと刺さっていく漁船とかの映像が出ていたのだが、その後、それどころではない津波だの原発だのの映像がどんどん被さってきてどうなっているかわからなくなっていたし、祖母のお墓はだいじょうぶだろうか、とか、いろいろ気になっていて。

特急のしおさいがまだ走っていないことを東京駅に着いてから知って、千葉まで快速で出て、そっから各駅で2時間弱、たっぶり映画2本分。でも、子供の頃はふつうに各駅だったわけだし。 途中で旭市も通過したのだが、電車から見たかぎりではそんなでもなさそうだった。

お墓はなんともなかったが、お寺の本堂のまわりに縄が巡らされてて、そのぼんやりとやばそうなかんじが、なかなかよかった。
お墓のなかではどんなふうに揺れたんでしょうかねえとか、お墓をお掃除しながらきいてみる。(だれに?)

そのあとで、銚子電鉄で外川まで出てみる。
駅を出て、細い道を海に向かってゆるーんと下りていくのだが、あっけないくらい変わっていなかった。 まあ、変わんないよね。意地でも。
船着き場の前には縄がはってあって一応入っちゃいけないふうになっていたし、警察の人たちがなんかやっているようだったが、ゆるゆるだったので、海のすぐ前までいってみる。 

海は波が落ちついていなくて、へんなぐあいにせりあがっている、ような気がしたし、おひさまの光とその周りの雲が変だなあ、くらいだった。(で、銚子の駅に戻ったら茨城で震度5が起こったのさ - 気がつかなかったけど)

やっぱし行ってみるとほっとするものだ。
駅前の閑散具合は、いまに始まったことではなくてじゅうぶんそれなりに悲惨なのだが、それでもいいの。それは震災のダメージがひどくなかったからよかったとか、そういうことではなく、「がんばろう」だの「みんな一緒だ」だの糞にもならねえ外野のおおきなお世話メッセージ群から遠く離れたところで、淡々とそこにあろうとする意志が、そこにはあった。
それこそ、ふーんだ、というかんじで、あるのだった。


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