4.01.2014

[film] Don Jon (2013)

23日の午後、「お国と五平」のあと、シネマライズで見ました。 江戸時代から現代のNJへ。 
男女のあれこれ、むずかしい。

Joseph Gordon-Levittが監督/主演して、彼の主宰するhitRECordの製作。

Don Jonはごくごくふつーの若者で、PCでポルノを見てオナニーしてそういうのを教会で懺悔してジムに通って夜学に通って、バーで友達と飲んだくれてナンパしながら運命の女との出会いを待ち続ける、そういう日々を過ごしていて、ある日 Scarlett Johanssonと出会ってケツと唇にやられてこいつだ、とアプローチしてつきあい始めるのだが、彼女はとってもスイートだけどいろいろ縛りがきつくて性格もきつくて、隠れてポルノを見ていることをつきとめられて許せん、て振られちゃうの。 そのあとで、わけありっぽいおばさん Julianne Mooreと知りあって。

教会への週次懺悔報告は、婚前性交渉をxx回、ポルノを見ながらオナニーxx回やってしまいましたお許しを、ていうのだが、ポルノを見ながら、のほうの数値をゼロにできるのか、がひとつの指標みたいになっていておかしい。 教会側もいちいちどうしろと。 やめろっていったらやめるのかおまえ、とか。

セックスしかアタマにないようでいて実は真実の愛を探し求める、という点でNJ男子版SATCと言うこともできるかもしれないが、あそこまで真面目に着地点を追い求めているわけではなく、ジムに通って身体を鍛えるのとおなじように彼女ができてセックスをして、が健全なかたちでルーチン化できればすてき、程度の。 でもポルノだってやめられない。PCの起動音が嵐を呼んでくる。
こんなふうに、どこにでも、だれにでもありそうな魂のふらふらとか体の乾きとかを、ぺらぺらの書割のなかに置いてみると。

オトコのサガとしてセックスとオナニーは別モノかどうか、みたいなありがちの議論はないし、"Shame"のようなセックスアディクトのケースでもない。健全な男子が女子とつきあうていうのはどういうことなのか、どうなったらつきあっていると言えるのか、みたいなことを考える材料としてはよいかも、けどそんなの人それぞれだし考えてどうなるもんでもないし。
Don Jonは一応よいこで正直で、嘘ついていないし悪いこともしていない家族ともちゃんとつきあっている、なにがいけないんだろう、タイミングとか場所がよくないのか? でもScarlett JohanssonとかJulianne Mooreみたいな女子と次々にぶつかるんだったら、相当運はよいに決まっているし、いったいなにが問題なの、どうしたいのどこに行きたいのあなた?

のような問いを通して透けてくる、いっぱん男子にとってセックスとはいったいなんなのか、あるいは危機とは?成長とは? みたいなのを描きたかったのかもしれない。

米国での公開時、TwitterでDon Jonが(主に、たぶん)女の子からの質問に律儀に応えていておもしろかった。「ねえねえDon Jon、こんな女の子はすき?」とか。 一見変なように見えるけど、実はとってもピュアな青年像、というと"Magic Mike"を思い起こさせもして、だから"Don Jon"も"Magic Mike"と同じくシリーズ化すればよいのに、とおもった。 第4作目くらいでふたりが激突するの。 女性陣は、Anne HathawayにZooey DeschanelにAnna KendrickにAmy Adamsに… いくらでも。

Julianne Moore、"Boogie Nights"でMark Wahlbergを導いたのとおなじようにうぶな若者を。 これがMeryl Streepだとだめなかんじがするのはなんでか。

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